「Vampire【後編】」- 妄想会議

Vampire【後編】

※「前編」の続きです。

「……田所っち、最近ちょっと遅くないっショ?寝る時間が」
「ヴァンパイアのお前から言われたくねえよ!」
日付も代わろうとする深夜の田所の部屋。遅くまで起きていることをマキシマから心配されて、心の底から田所はツッこんだ。

「もうすぐ……あと1週間後にロードレースの県大会があるんだ。そこで優勝したらインターハイ、全国大会に出場できるんだ。そのために練習時間を延ばしてる」
ロード……あぁ、あの田所っちがよく乗ってる自転車のことか。結構速いんだよナ、アレ。場合によっちゃ人力で馬より速く走れるんだってな。まぁ、初めてクルマを見た時もオレは驚いたけど。と、「2000年生きている由緒正しいヴァンパイア」であるマキシマは感心したように呟く。
「それでお願いがあるんだが、マキシマ。しばらく、オレの血を吸うのは止めてくれねえか?大会前に生気抜かれると辛いような気がするんだ。オレと金城、3年生最後のインターハイ出場に向けて全力投球したい」
真剣な眼をして田所はマキシマに懇願した。
「ああ、分かったっショ。1週間くらいならなんてことネーし。頑張れよ、田所っち」
マキシマは田所の固い肩を、気合注入する勢いでばしっと音が出るくらいの力で叩いた。
「イテっ、……あれ、いいのか?」
てっきり断られると思っていた田所は意外な答えに肩すかしをくらった顔で、マキシマの方にぐいと身を乗り出した。
「その代わり、今夜はその分いっぱい吸わせろっショ……」
魅惑的な眼差しでマキシマは田所に近づき、太い首にそっと触れた。

翌日田所が目を覚ますと、身体が重いなどという事はなく、普段と特に変わりない感じだった。確認するように腕をぐるぐる回したり、軽くジャンプしてみたがごく普通な感じだ。
(特に余分に吸われたって感じしねえな?)
登校すると、いつものようにマキシマが後ろの席で「おっす、田所っち」と声をかけてきた。
「(すまねえな)」
「(気にすんなヨ)」
とお互い目配せした。

その翌日も翌々日も特に何も変わらず、田所は県大会に向けて集中していた。「深夜の客」が来ないことだけが唯一の違いだったが、もともと誰も来ないのが当たり前だ。一抹の寂しさがあったが、キツい練習の中に紛れていった。
マキシマが田所の部屋に来なくなって4日目。寝る前に県予選大会のことを考えていたら田所は眠気が飛んでしまった。コース……戦法……駆け引き……不在のクライマー。寝しなに頭だけが興奮してしまうと、眠りにつくことは微妙に難しい。
(ここでいつもならマキシマが来てオレを眠りに誘ってくれるんだけどな……いや、いや)
――「オレの血を吸って欲しい」だなんて、まったくどうかしてる。毒されてるぜ。

田所は頭を悩ませつつ布団に横たわっていたが、気がついたら夜が明けていた。なんだかんだいって知らない間に眠ってしまっていたらしい。睡眠不足に若干の重苦しさを覚えつつ、特に支障はなかったので登校した所、田所の後ろの席に人影がなかった。
「ん?」
昼になってもマキシマは姿を現さなかった。
(そういえばアイツのケータイ番号や家の在り処も知らないな、オレ。そもそも由緒正しいヴァンパイアがケータイを持っているかも知らねえけど……。)
田所は斜め後ろの席のクラスメイトに尋ねてみたが、今日は顔を見ていないという。
「マキシマくんなら、今朝『ばら園』の方で見かけたよ」
田所の質問を横で聞いていた別のクラスメイトが代わりに答えた。
ばら園……校庭の片隅の園芸用の植え込み、その名の通りバラの咲くベンチのある場所。田所は胸のなかに悪い予感を抱えてばら園に急いだ。

ばら園に到着すると、繁みの陰のベンチでぐったりとしているマキシマを田所は見つけた。横に斜め45度という体勢で辛そうに胸を押さえ、今にも倒れそうだ。他のベンチには人が座っているものの、ヴァンパイアの魔法的技術で気配を消しているのか、田所以外の誰かに体調不良を気づかれている感じはない。
「だっ、大丈夫か?マキシマ!苦しそうだぞ」
「あー、田所っちィ〜」
……正直、大丈夫じゃあねーなァ。クハ。白く薄い蝋のような顔色でハァ、ハァと荒い息をつきながらマキシマは答えた。
「ほ、保健室、行こうぜ」
「人間の病院行ってもなァ。ニンゲンのクスリなんてオレには効かねーし、捕まってモルモットにされるのがオチっショ」
オレの体温は普通の人間と比べて低すぎるからまずそこでバレるっショ。マキシマは自嘲した。
「ど、どうすればいいんだ?オレの血、ここで吸えばいいのか」
焦った田所は挙動不審気味に提案した。
「さすがに人前でソレはヤバいっショ……田所っち、大会前なんだしサァ」
ぐったりした顔でマキシマは答える。こんな時にも冷静さを崩さないマキシマに田所は苛立った。
「でも!お前、死にそうな顔してるぞ!」

「悪いけど、オレの家まで連れてってくれる?家に戻ればなんとかなるんショ」
というマキシマの願いに、誰かに見つかったら色々まずいだろと考えて、学校から少し離れた大きな道に出るまで田所はマキシマを背負って通りがかりのタクシーを拾うと、街の外れにある高級分譲マンションの住所をマキシマは運転手に指示した。
「お前が住んでるのって、古い洋館じゃ無いんだな」
「いつの時代のヴァンパイアのイメージっショ、ソレ。洋館は口の堅い人間雇うのと維持費が結構大変なんだヨ」
マキシマがマンション玄関のロック画面に手をかざすと自動ドアの大きなガラス扉がスーッと静かに開いた。
「いつ見てもすげえな、ヴァンパイアの力は」
「……これは普通の人間の技術っショ。ここのマンション、指紋認証システムなんだヨ。ハイテクだろ?」

相変わらず苦しそうにしているマキシマを今度はお姫様抱っこで抱えた田所が最上階の部屋に着くと、フラフラと奥の部屋に向かったマキシマはキッチンにある銀色の大きな冷蔵庫の中からパック状の物を取り出し、開封してごくごく喉を鳴らして飲んだ。
「クハッ。不味ーいっショ……」
軽くゲップをしているマキシマの飲んだソレは見た目はパワージェルやウィダーイン等のゼリー状飲料に似ていたが、よく見ると透明パックの中身が赤黒い。
「そっ、それ、血なのか……?」
血を見るのがあまり得意でない田所は若干引きながらマキシマに尋ねた。
「そう。イザという時の為にいくつか確保してあるんショ。でも、最高に不味いからオレはなるべく飲みたくネェんだけど」
まったく、これの不味さと言ったら「死んだほうがマシな味」なんショ。マキシマは独りごちた。
だだっ広い高級マンションの一室は静まり返っている。ざっと見たところ4LDKほどはあるだろうか。しかしここで誰かが生活している気配はほとんどなかった。
「お前、ここには家族とか、一族……?はいねえのか」
「独りだヨ。ずっと」
「他の所には仲間がいるのか?」
「もう居ない。」
首を振ったマキシマは血液を補給して一息ついたのか、ぽつぽつと自分のことを話しだした。
「仲間は昔、皆狩られてしまったっショ。オレたちは人間から少し血を分けてもらうだけでそれ以外は特に悪いことしてるワケじゃねーんだけど、ヴァンパイアという存在を忌み嫌ってすべて滅ぼそうとする狂信者みたいな奴らがたまにいるんだ……。オレたちは遠い昔はかつて人間だった突然変異みたいな存在だから、そっとしておいてほしいだけなのにナ」
「そういえば、前にオレの血は『2番目に美味い』って言ってたよな、マキシマ。『いちばん美味いヤツ』は今どうしてるんだ。そいつの所に行けば……」
田所が話しかけた途中で被せるようにマキシマは告げた。
「1番目は256年前に死んじまったショ」
いい奴だったけど、普通の人間だから仕方ねーよナ。アイツも田所っちと同じでバケモノのオレにも優しかったっショ。
「人間は、みんなオレより先に死んじまうからイヤだ」
マキシマは珍しく弱音を吐いた。やはり血を我慢することで予想以上に疲労していたのだ。
……もしかして「一週間くらい平気だ」というのはオレを安心させるための嘘だったのか。と田所は勘づいた。グルメなマキシマの事だから、不味いパックの血を飲むくらいなら断食するくらいの覚悟だったのかもしれない。

……なんか疲れたからちょっと眠るっショ。マキシマはそう言ってさらに奥の部屋に引っ込もうとした。
「送ってくれてありがとナ、田所っち。しばらくはこのクソ不味い血で我慢するから、もう帰っていいっショ。嫌ならお前ん家にももう行かねェから、安心してお寝んねしてろっショ」
マキシマは後ろにいる田所に背を向けてバイバイと手を振った。
「バカだな、マキシマ。お前ってほんとバカだ」
「!」
プライドの高いマキシマはあからさまにムッとした表情で田所の方を振り返った。
「そんな話聞いちまったら、放っておけねぇだろ……」
「……フン、ひとりで居るのは慣れてるサ」
と言いかけた所で、後ろからマキシマは田所の太い腕のなかにすっぽり収められた。体温高めの田所のぬくもりが彼の心の中にいるようで温かく感じる。
「急に……。なんだヨ。クハ」
マキシマは腕の中で田所の方を振り向いた。
「今すぐオレの血を吸え、マキシマ。……お前が吸わないって言うなら逆にオレが吸ってやる!」
野生のクマみたいに大きく吠えた田所の無茶振りにマキシマは目を丸くする。
「なんだよソレ……。意味ワカンネーショ」
口では悪態をつきつつも、マキシマは嬉しそうにうっとりした瞳を細めて田所の背中を優しく撫でた。
「クハ、無茶しやがって。でも、ここはお言葉に甘えるとするっショ……」
一見それとは判らない、八重歯のように見える牙が太い首の肌を辿る。軽く噛まれた田所は意識をゆっくり手放した。



「……ん?」
気づくと外の景色がすっかりオレンジ色に染まっている。そうか、マキシマの家で血を吸われたんだった、オレは……。ぱちぱちと何度か大きく瞬きをしてみる。寝起きのぼーっとした思考の中、玉虫色の長い髪が田所の視界に入った。
「ちょっとだけ吸ったから、さすがに回復するの早いナ。おはよう」
「夕方なのに『おはよう』ってのもおかしいだろ、マキシマ」
愛想良さ気な感じに戻ったマキシマを見て田所はホッとした。普通の人間よりすこし白い程の血色も元に戻っているようだ。
「ほんと有難うナ。帰りは送るぜー、田所っち」
「ここから学校までは遠いな。またタクシー使うのか?」
違うよバーカ。マキシマは闇より黒いマントを勢いよくバサバサ翻した。

「行くぜ!」
台風並みの突風とともに強烈な勢いで窓が開き、そこからマキシマと田所は空へ飛び上がった。
鳥のような速さで、ふたりは夕暮れを切り裂いて進む。
「うわっ!お前、すげえなー!」
「さっき美味いもんを『充電』したからナ。重い田所っち運ぶのも余裕っショ!」
「重いは余計だろ!ったく」
マキシマは田所をお姫様抱っこして運ぶ。空を飛ぶのはたいへん爽快だが、このポーズは若干いたたまれない気分にもなる、ような……。ふと下界を見ると舗装された道路の上を銀色の輪がいくつも連なって走っていた。
「おっ、金城たちが走ってるな」
「キンジョー?あァ、田所っちのチームメイトの奴だっけ」
「自転車部、オレたち3年生はいま二人だけしかいねえんだ。クライマーが居なくて困ってる」
あっ、クライマーってのは山を登るのが得意なやつの事な。田所は付け足す。
「……山か。懐かしいな。遠い昔、オレは山の上に住んでたんだぜ。お城だったんだ」
退屈しのぎに自転車部に入るってのもいいかもなー。マキシマは呟いた。あの学校、居心地よくて結構気に入ったっショ。
(マキシマが自転車……。細くて力のあるこいつがロードに乗ればクライマーとして結構通用するかもしれねえ)
もちろん、不思議な力を使うのはNGだけど……。田所はいろいろ考えた。
「おまえ、軽いからクライマーに向いてるかもしれねえな。オレがロードバイク整備してやるから、一度走ってみろよ。うちの部は万年部員不足なんだ」
「あぁ、それも良いナ。……そうしたらオレはいつでも田所っちから『補給』できるし?」
マキシマの白い牙がキラリと光る。
「って、オレは補給食じゃねえぞ!……ま、夜寝る前なら吸ってもいいけど……。多少なら、減るもんじゃねえしよ。マキシマ、腹減ってるんだろ?」
すこし照れながら口角を上げた田所はフォローするようにマキシマの頭をよしよしと撫でた。
「やっぱり、田所っちは優しいねェ」
チュッ。マキシマは腕の中の田所の厚い唇に軽く口付けた。
「!!」
「重いモン運んで空飛んで、ちょいと腹が減ったから生体エネルギーを貰っただけっショ。挨拶みたいなものだから気にすんナ☆」
顔を元の位置に引いたマキシマはウインクしてニヤリ。と笑った。
「気にしないでいられるか!くそ、オレはこれがファーストキスなんだ……!!」
トマトみたいに真っ赤に熟れた田所は空の上で絶叫した。



「田所、マキシマ。オレはお前たちがチームメイトでほんとうに良かったと思ってる。次は箱根で『オレたち3年間の努力』の決着をつける番だな」
いつも冷静な金城が珍しく感極まったようにふたりに声をかけてきた。

県大会が無事終了した。総北高校自転車競技部はかろうじて優勝し、見事インターハイへの出場権を得た。
ロードバイクに3日間ほど乗っただけでコツを掴んで立派なクライマーになったのは由緒正しいヴァンパイアであるマキシマの能力を持ってしても奇跡だとしか言えない。彼曰く「競技では『力』は使ってねえヨ」。ただ、部員たち全員の記憶を都合よく操るのはさすがに少々骨が折れたケド……。

……と、いつものように真夜中の部屋で田所は、マキシマから直接そう聞いた。
「なぁ田所っちィ。次は他の所のを吸いたいっショ……」
布団の横で田所に迫ってきたマキシマはいつものように首ではなく、スプリントで鍛えた田所の逞しい太腿の方にベタッと触れてきた。
「ほ、他って何のことだよ!」
「アレだよアレ。えーと、日本語では何て言うんだっけナァ……?アレ」
マキシマが『アレ』の名称を思い出す前に、血よりももっと淫靡なものの事だと本能的に悟った田所はずるずる後ずさった。やっぱり、ヴァンパイアの言う事なんか聞くんじゃなかったぜ……。田所は激しく後悔した。
「『血』よりも『アレ』のほうが生体エネルギー摂取の効率が全然イイんだ、なァ頼むっショ。血を吸った後よりもっと、もーっとキモチ良くさせてやるからさァ……男の姿が嫌だったら女に化けてやってもイイぜ。どうせ毎日ムダ弾、放ってるんだろ?」
マキシマは田所の丸い顎に細長い指をくいっと掛けた。
「そ、そんなこと頼まれても困る!」
真っ赤になった田所は火山のようにドカーンと怒鳴った。……それに、ムダ弾って何だよ!

「あと、オレ考えたんだけど、田所っちが狼男になれば長寿になるからその分オレはいっぱい血を吸えるんだけど、どう?」
クハ、我ながらナイスアイデアっショ!と両手を合わせてニコニコするマキシマの背中に派手な色の毒々しい花が見えた。これって、幻……?
「ヴァンパイアの仲間はもう居ないけど、狼が嫌なら他のバケモノの知り合いを紹介するぜ?どうっショ?図体のデカい田所っちならクマ男?とか向いてそうだナ」
「絶 対 嫌 だ ー !」

……しかしいつまで嫌だ嫌だと言い張り続けられるのか。本心では不安だった。まぁ、今が楽しいからとりあえず心配は後回しだ。どうせなるようになるしかねぇだろ、楽天的な田所はそう思った。……そう思うしか、なかった。

【おしまい】
2012/06/15 七篠