さかしま

※2012/10無料配布本 坂道x巻島
現時点での原作とはパラレル気味。


「……あの、巻島さん。いま二人っきりだから言いますけど、小野田くんのこと……大切にしてやって欲しいんや。ワイ、友達として心配しとるんです」
水曜日。深まった秋の夕暮れ色に染まる放課後の部室に巻島はわざわざ呼び出され、二人きりになったタイミングで鳴子は巻島に向かって強く物を言った。
「見て分かると思うんですけど、小野田くんとワイは、まだ子どもなんや。身体が成長しきっとらんのや。だから、無理矢理とか……そういうのは止めてほしいんです」
「……んなコト。言われなくても、判ってるショ」
オレは、無理矢理とかはしてねェから。安心しろ、鳴子。巻島が穏やかにそう告げると、鳴子はほっとした表情を見せた。

◆◇◆

(そんなにオレは、坂道にひどいコトするように見えるのかねェ……)
――数日前のこと。遂に、小野田と巻島が先輩後輩という関係を超えて同性同士での親愛な「お付き合い」をしていることが周りに発覚してしまった。実際付き合い出したのはインターハイの直後からだったのだが、先日、夜遅く部室の裏でこっそり抱き合っていたのをうっかり杉元に目撃されてしまったのだ。
先週の金曜日には金城から図書室の廊下で、翌日土曜日には田所から彼の家のパン屋の店先で。一日置いて月曜日にはなぜか寒咲兄からわざわざ自転車店の店頭まで呼び出しを喰らった巻島は
「先輩として、恋人として。小野田を気遣ってやれよ」
「小野田のこと、可愛がるのはいいけど程々にしろよな」
「巻島、小野田と付き合ってるんだって?大事にしてるか?」
等と、ほぼ毎日に渡って一々誰かから諌められるという、針の筵の上に座らされたような日々だった。

◆◇◆

「この部分を訳すと、『その君主は子供のように純粋であった。しかしながら、子供のように残酷でもあった。』となる。この『しかしながら』という接助詞は……で……」

イチイチ助言されるほどオレはアレに見えるのかヨ……ったく。英語の授業中、教師の声をBGMにして左手でシャープペンをくるくる器用に廻しながら巻島は自らを鑑みた。だが、体育の列でも前の方なんですという小野田と、ひょろっとした細身と玉虫色の髪で実際の身長よりも大きく目立っているオレとの体格差を鑑みれば、周りが余計な心配をかけるのも無理はないとも言えるだろう。強引に無理矢理コトを進めてしまえば、暫く自転車に乗れないほど傷ついてしまうこともある。……と、他人が心配してもおかしくはない。――これが己の身に起きた事でなければ、きっと巻島だって同じように思っただろう。
ふと。チクリと肌に刺されたような痛みを覚える。巻島は利き手の左指で、ワイシャツの右手首のボタンをそっと外してみた。他の部分に比べて皮膚が薄い白肌の上に、蚊に刺されたような小さな紅い痕が残っている。これは昨日の夜、付けられたものだ。ゆうべの事を思い出せばその色が頬まで伝わりそうになり、いけない、ダメだ。巻島は急いで手首のボタンを留め直した。
ボタンを元に戻すと同時に、ケータイの強い振動音がブレザーの胸ポケットに一瞬大きく伝わった。
「!」
肌の刺激に続いた突然の振動に思わず巻島は大きな声を上げそうになったが、すんでのところで我慢した。……ったく、こんな時に、誰だヨ。授業中に携帯機器を触ることは禁じられているので分厚い教科書の陰に隠してこっそり発信主を確かめた巻島は、液晶画面のメール着信履歴を一瞥すると はぁ……。とひとつ、大きなため息を付いた。吐息を覆うようにちょうど昼の休憩時間を告げる鐘が鳴り、ケータイを画面ごとパチンと閉じた。

◆◇◆

晴れた空の模様はすっかり晩秋の雲で、肌寒く感じる日も徐々に増え、冬の気配が近づいてきていた。そんな中、校舎の隅にある通称「ばら園」で巻島と坂道は待ち合わせて毎日ここで昼食を摂っている。校庭の片隅の園芸用の植え込み、その名の通りバラの咲くベンチのある場所でデートするのが昼間のふたりのささやかな幸せだった。繁みがあるためこの場所はある程度人目を避けられる。その為、秘密をやりとりする生徒たちにしばしば利用されているが、今日は特に人出が少ないようだ。
「あのナァ。授業中にメールを送るのは止めたほうがいいと思うっショ」
一本のベンチに並んで座り、自分の弁当箱に入った大きな唐揚げをつつきながら巻島は坂道の行動を先輩らしく諌めた。
「4時間目は、先生の都合でボクのクラスはちょっと早く終わったんです。それで……つい」
「疑わしくは罰せず。って言うだろ?紛らわしいのはダメだ」
「ごめんなさい。次からは、気をつけます」
食べかけで丸い歯型の付いたコロッケパンを両手で持ちながら、子どものようにしょぼんと肩を落とす坂道を目の前にして、焦った巻島は必死にフォローした。
「い、言い過ぎたかもしれねェ。悪ぃナ。……で、何でオレにメールしたんだヨ?どうせすぐ昼にここで会うんだし、急ぎでもなきゃ」
「えっ、まだ見てないんですか?一緒に送った写真」
そういえばメールの着信を確認しただけで本文までは読んでいなかった。巻島がケータイの画面を開くと、メールの添付ファイルにサイクルジャージ用の大会ゼッケンが映っていた。
「峰ケ山のヒルクライム大会の参加者用ゼッケンがボクの所に届いたので、巻島さんにぜひ見て欲しくて送りました。……一緒に出られないのは、残念ですけど」
インターハイ終了に伴い、既に3年生は受験のために部を引退している。体が鈍らないよう息抜きに練習参加することもあるがまれだ。
「オレは出ねェケド、応援には行くつもりだぜ」
「えっ本当ですか!嬉しいなぁ、ボク頑張りますね」
好きな人にイイ所見せたいですし……なんちゃって……えへ。照れた坂道は子鹿のように小首を傾げた。その可愛らしい様子を見て思わず巻島の箸の動きがピタリと止まる。
「ほ、ほら、もっと食えヨ」
挙動不審さを悟られないように巻島は坂道のおかず容器に唐揚げの残りの塊を親鳥のようにせっせと運び入れた。
「ボク、こんなにいっぱい食べられないですよー」
「……いや、もっと喰って大きくならねェと速くなれねーショ。今はカラダを作らねえと……全部喰え、ほら、ほら」

「もう食べられません。あー、げっぷ出そう……」
「汚ねェナ。んなコトいちいち口に出すなヨ」
なんのかんの言いつつも坂道は盛られたおかずを完食し、ふたりは昼食後の残された短い時間を引き続き同じベンチでくつろいで過ごす。噂が流れている最中に人前で一緒に居れば、ますます疑われてしまうだろう。しかし部員の間でバレてしまった今、学校中に話が広まるのもどうせ時間の問題だ。と思い、巻島はふたりの関係を隠すことを半ば諦めてしまった。同性同士付き合っていること自体は今の世間の流れなら、まぁ、どうにでもなるだろう。だが、もっと深い秘密は――。
「……巻島さん?」
「いや、ナンでもねェショ。ちょっとボーっとしてただけ……」
えへ。坂道は横にいる巻島の右手に自分の左手を乗せ、上から巻島の長い指にそっと被せた。
「こうやって、一緒にいるだけでも、ボクはいますごーく幸せなんです。だって、ずっと独りぼっちなのかも。って思ってたから」
「何をいきなり言い出すかと思ったら……。恥ずかしいヤツ、っショ」
照れた巻島は横に顔を背けた。……触れられた部分が妙に熱く、むずむずとくすぐったい。
「また、巻島さんの家に遊びに行ってもいいですか」
小声で坂道から耳元にそっと話しかけられる。昨夜のことを思い出した巻島は、瞳を開き、全身に残された痕をぞくっと震わせた。――オレが部を引退した後で坂道と付き合いだしたことは幸運だった、今が長袖の季節で良かった。と巻島はつくづく思う。そうでなければ、ジャージを脱いで人前でいまの素肌を晒せば、秘密に隠された秘密までが発覚してしまうだろう。
「昨日、すっごく……あの……良かったので。また、色々……したいなぁ、って」
「あ、あぁ……」
赤くなった巻島は返事らしい言葉もかえさず、ただ首をこくんと振った。
「……巻島さんは?」
「オレも……っショ……」
そう言うと、今度は巻島のほうが残された左手を坂道の左手の上に重ね、ぎゅっと力を込めた。
「両想いで、うれしいです」
大きな目を細めて坂道は素直に喜び、乙女のように頬を染めた。

◆◇◆

翌週の月曜日。
「また、珍しい所に呼び出すねェ……んで、何だ。用事は」
巻島は今度は今泉から校庭の隅の焼却炉の横に呼び出された。……まったく、まだオレを呼び出していない部員を探すほうが難しい位だ。朝降った雨で足元の土が泥濘んでいる。下ろしたての革靴が汚れそうな気がして巻島は不快に思った。
「……判ってると思いますけど。小野田のことです」
「なんだ。どうせお前も『小野田を大切にしろ』って言うんだろ?知ってるヨ。皆そう言う……」
今泉は言葉を選ぶようにゆっくり切り出した。
「勿論、それはそうですけど、オレの意見はちょっと違います」
「……どういうことだ?」
予想していなかった回答を耳にして、巻島は今泉に強く聞き返した。
「皆、『小野田を大切に』って言ってるみたいですけど。巻島さんも、自分を大切にした方がいいと思います」
「……。」
「巻島さん。首の左側のこと、気づいてますか」
その言葉にハッとした巻島は首の左側に手をやった。――昨日、坂道から強く首筋を愛された痕が残っているのだろう。今朝寝坊して遅刻寸前で家を出たこともあり不覚にも自分では気付いていなかった。長い髪で隠れていることが多いため、気付かれにくい場所なのですっかり油断していたということもある。
「小野田の事、皆ちょっと誤解してるんです。あの外見から人畜無害に見えますが、あいつ、好きなものには容赦無いというか、手加減知らない性格だから。巻島さんも、あまり無茶なことは断った方が……」
今泉の言葉を遮るように冷たく巻島は告げる。
「……断れると思うのか?オレは、アイツに惚れてるんショ……」
だから、何されても大丈夫さ。それに、坂道が傷つくよりもオレが傷ついたほうが全然イイっショ。……肉体的にも精神的にも。
「好きって気持ちは全く面倒だよナ。まったく、どうにもならねェ……」
――それに、どんなことされたって、悪い気は全然しねェんだヨ。おかしいだろ?巻島は自嘲した。
「ありがとナ、今泉。気付いてくれたのは、お前だけだ」
「巻島さん……」
巻島は軽く片手を上げて今泉に礼を返し、その場から立ち去った。

◆◇◆

「あ、巻島さん、いたいた」
渡り廊下を歩く巻島の姿を見つけた坂道は、タタタと小走りで駆け寄ってきた。
「……坂道ぃ」
「今日は一緒に帰って巻島さん家に寄る約束でしょう?電話かけても『電波の通じない場所にいます』で通じなかったから、心配してました」
「悪いな、さっきケータイの電源切ってたんだ。ところで、後輩から心配されるオレの立場ってどこっショ?」
「冗談ですよっ。さ、今日も勉強とか……色々、教えて下さいね?」
何も疑わず、澄んだ素直な瞳で坂道は欲求を口に出し、巻島の左手をごく自然な感じで握った。
「……ああ。そうだナ」
巻島は右手で坂道の頭をぽんぽんと撫ぜ、戯れに髪の毛をわしゃわしゃと弄った。
「うわっ、何ですか、急に」
「……好きだヨ。坂道」
「ボクも……好きです。……誰よりも」
目を細めた眼差しで、巻島は無邪気な恋人に告げ、坂道もはにかみながらそれに応えた。

(……だから、オレは。何されたって、どうなったっていい)
続けて、心の中で独り言を呟いた。

【終】
(2012/10/07 コミックシティスパーク 無料配布本)

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