レオナルド

「巻島ぁ。おまえ、絵ぇ上手いだろ。今度オレの顔も描いてみちゃくれねえか?」
「えー。ヤだヨォ」
 昼休みの教室。田所っちとの昼飯中になぜか絵の話題になり、オレは彼の頼みを即答で却下した。
「なんだよ、オイ。ケチだなあ」
 そういうんじゃねェケド……。オレは渋る理由を説明する。
「悪いけど、オレ、似顔絵は苦手なんだ。上手く描いてもモデルから文句言われちまうことが多いからな……」
「へぇ、そういうモンなのか?」
「ありのままに描くと『私はこうじゃない』って言われるし、かといって、おだてるみたいに美化して描くのはオレの趣味じゃねェ。……だから、似顔絵を描くのは苦手なんショ」
 風景とか静物ならいいんだけどサ。とオレは付け足す。
「そうか。じゃあ仕方ねえな」
 悪かったな、巻島。ゴメンな。とオレの性格をよく知っている田所っちはあっさり引き下がってくれた。こういう時、長い付き合いの友人は有難いなァとしみじみ思う。

◇ ◇ ◇

 ―自分で言うのもナンだが、まぁ、オレ、巻島裕介は人より絵は上手い方だと思う。子どもの頃、親に買ってもらったレオナルド・ダ・ビンチの絵本を読んでオレはすごく憧れを抱いたものだ。絵も工作も設計だって、なんでも出来る才能を持っていたレオナルド。でもオレは彼みたいな優れた才能は持ってない。色々やりたいことはあったけど、凡人なオレがすべてを叶えるのはムリな話だ。……だから優先順位を付けて、必要なもの以外は手放すってもう決めたんだ。

「巻島くんは、もう絵は描かないのかい?」
 呼び出しを受けた美術準備室で、濃いコーヒーをすすりながら美術教諭の佐倉先生はオレに向かって訊いてきた。
「他にやりたい事があるんで……。そろそろ失礼します」
 オレは特別にオゴられたコーヒーを全部飲み干すと、部活に行くため席を立つ。
「こんなに上手いのに残念だなぁ。それに、僕は君の絵が好きだから淋しいよ」
 とはいえ、君にその気がないなら強制はしないけどね……。また、気が向いたら何か描いてみてよ。それで、見せてくれたら嬉しいな。という先生の言葉を背にして、オレは美術準備室を出た。

「あっ、巻島さん。こんな所で、どうしたんですか」
 引き戸のドアを閉めて振り返ると。そこでオレは偶然同じ廊下を歩いていた坂道と出くわした。
「3年生って美術の授業は無いですよね、補習か何かですか?」
 坂道のいう通り、美術の授業は2年生までしか行われない。総北高校の芸術の授業は3教科からの選択制で、オレは美術を選んだ。(ちなみに金城は書道で、田所っちは音楽だ)
「オイオイ小野田。オレが落第してるってコトかヨ?それは違うナ」
 いちいち解説するより、直接見せたほうが早いだろ。そう思って、オレは坂道を連れてもう一度美術準備室のドアを開けた。
「あれ、巻島くん。忘れ物でも?」
「いや、さっきのをこいつに見せたくてちょっと」
 油絵具とほこりの古くさい匂いがツンとする部屋の奥に置いてある、四角く浮いた白い布をオレは手でバサッと剥がした。

「コレ、オレの描いた絵。っショ」

 緑に包まれた山頂の駐車場。紅葉がまぶしい季節、足元に落ち葉が広がるアスファルトの路の上。B4サイズの水彩の風景画が額縁の中に収まっている。もともとはスケッチブックに描いたものを額装したものだ。
「うわぁ。これ、巻島さんが!? 上手いですね! 本物っぽいです」
 感心したように坂道の瞳がキラキラと見開かれ、額縁の絵とオレの姿をそれぞれ眺めた。
「絵だけどナ」
「すごいです、プロの画家みたいで!」
 オイオイ、もっと気の利いた言い回しはないのかヨ……ともオレは思うが、まぁ、こいつは語彙が少ないし、誰からでも褒められる気分は決して悪くはない。
「彼が1年の時に描いた絵だよ。良い絵だろう」
 後ろからヒョイと佐倉先生がオレたちに声を掛けてきた。
「各自好きな風景を描くというテーマでね。いつも練習してる山? の頂だとか。そうだよな、巻島くん」
「峰ケ山の駐車場ですよね。ボク、見てすぐ分かりましたよ。いつも登ってるあの場所だって」
 絵を前にして坂道はどこか興奮したように早口でまくしたてた。
「君は巻島くんと同じ部活なのかい」
 はいっ、そうです。ボクはまだ秋には行ったことないけど……。あの辺りって、秋にはこういう景色になるんですね。綺麗だなぁ。坂道は引き続き額縁の中を興味深く眺めている。
「この絵をね。地域の美術展に出品したくて、さっき巻島くんに了承を取った所なんだ」
 高校1年生の時の絵にしては技術も上手く描けているけれど、技術云々は置いておいてもこの絵からは『この場所が好きです』という気持ちが伝わってくる、いい作品だなと思っていてね。本来は授業の後に生徒に絵を返すんだけど、僕はこの絵が気に入ったから特別に引き取らせてもらって手元に置いてるんだ。と佐倉先生は坂道に語った。

◇ ◇ ◇

「巻島さんは絵も得意なんですね。カッコいいです!」
 美術準備室を失礼してふたりで廊下を歩きながら、あの絵を見てすっかり興奮した坂道はオレを褒めた。
「いやぁ……それほどでもねェよ。もっと上手い奴はいっぱい居るからなァ」
 親が美術関係の仕事をしていることもあって、オレは絵を描くことが好きだった。だが、(どういう世界にも言えることだが)上手ければ上手いほど限界や粗が見えてきて、自分に才能というほどのものは無いということも痛感した。悲しいけれど、だから、オレは絵を手放したのだ。
「あのですね。ボクは、アニメオタクなのに絵が下手なんです。美術のセンスもないし、悲しいです。絵が上手かったらオタクな友達もできたのかなぁって……。それで、モテモテ? みたいな……」
 モジモジとうつむいた坂道は一瞬悲しげな犬のような目をしたが
「……でもっ、いまは今泉くんや鳴子くんがいるから前よりは全然、淋しくないんですけど」
 ハッと顔を上げて、大丈夫です! と言いたげに元気そうに両手を小さく振った。

「あっ、そうだ。……ええと、巻島さんにお願いがあります!」
 何か思いついたらしい坂道は、自分のカバンに手を突っ込むとガサゴソ音を立てて中身を探った。
「この子の絵を描いて下さい。えへ、可愛いでしょ?今期アニメでボクのイチ推しの子なんですよっ」
 カバンの中から坂道がオレに差し出したのは、アニメ雑誌か何かのカラーページの切り抜きだった。ピンクの髪をしたやたら大きな瞳の女の子の絵が派手な色彩で描かれている。魔女っ子アニメのキャラクター?のようで、体にピッタリした白い布にヒラヒラのフリルをたくさん纏った服を着ていた。頭には四つ葉のクローバーがデザインされた大きいヘアピンが付いている。
「絵が上手い巻島さんならこの子……あっ、『ミルク&クローバー』のクローバーチャンっていうんですけど……が描けるかなぁって思って。もちろん出来たらでいいんですけど、あのっ、ぜひ、お願いします!!」
「あ、あぁ。イイけど……。分かった。あぁ。」
 坂道の勢いに押されて、オレは首をつい縦に振ってしまった。
「え、いいですか! ありがとうございます!!」
 わーい、やった。やったぁ。楽しみですっ。切り抜きを差し出した坂道はとても嬉しそうに顔をほころばせた。

◇ ◇ ◇

「あぁ……。やっちまったぜ。どうしよう……」
 うーん……。情熱的な勢いに押されてついウッカリ坂道のお願いを安易に引き受けてしまったものの、悩んだオレは夜中の部屋で独り、はあぁ。と溜め息を付きながら髪をかきあげる。
 なぜかというと、オレは写実的な絵は描けても、デフォルメタッチのイラストが描けないのだ。アニメ絵も勿論。無理すれば描けなくはないけれど、どうしてもリアル寄りの絵になってしまう。漫画で言えば劇画風、というのか……。試しにざっとスケッチしてみたオレの絵を机の右手に、坂道が貸してくれたアニメのイラストを左手に置いてオレは交互に見比べてみた。うーん……オレの絵には、あいつが求めるような可愛らしさは全然ないんだよなァということがアニメ素人のオレにもよく理解できる。他人に見せてみたって「?」ときっと首を傾げられてしまうだろう。
「どーしてもどーしても、こいつはムリ……ショ……」
 坂道、しょげちまうかなァ。ガッカリされるかな。悪かったな……。はぁぁ。オレはもう一度大きな溜め息を付いた。

「仕方ねェ。代わりに……」
 オレは引き出しを開けて、一枚の写真を取り出した。

◇ ◇ ◇

 翌日の放課後。
「昨日頼まれたヤツ、あんまりイイのが描けなくって。……悪いケド、その代わりにこの絵で勘弁してほしいんショ」
 部室の前で会った坂道にオレは茶色の大きな封筒を手渡した。
「開けていいですか?」
「あぁ」
 どこかまごまごしているオレの態度に気づかず、坂道は封筒をくくった紐を性急に開けて、中に入った紙をサッと引き出した。
「わぁ……!!」
 鉛筆と水彩で描いた肖像画。それは坂道の顔だ。背景には緑で彩られたいまの季節の峰ケ山の景色が薄く映っている。
「えっ、えっ、これっ。これって……もしかして、ボクですか???」
「あぁ。小野田の欲しい絵が描けなかったお詫びに、おまえの顔。描いてみたんショ」
 以前、自転車競技部全員で撮った集合写真を見て描いたのだ。

「うわ、わぁ。すごい、すごいです。ボク、こんなのはじめてもらいました!」
 オレの絵を見て坂道はとても興奮している。
「あ、あの。でも……」
 同時に坂道はなぜか恐縮している。やっぱり、自分の注文とは違うからなのか?
「……ど。どうかした?」
 オレはおそるおそる訊ねた。
「ボク、こんなイケメンじゃないです。もっと、こう、ヘタレな感じで……弱虫で……」
 絵の中の坂道はキリッとした、若武者のような凛々しい面持ちで佇んでいる。
「そうか? 描いたオレが自分で言うのはナンだケド……この絵、おまえに結構似てると思うんだけどナァ」
 画家ってのは、目に見えないモノを描くのさ。なんてナ。と、オレは坂道に言った。

 ふあぁ。口からあくびが浮かび、オレは坂道の前でウーンと伸びをした。
「つい徹夜しちまって、今日は眠いからもう帰るっショ。寝不足で下手に自転車乗ったら怪我しちまうしなァ。部活サボる理由は皆にはなんか適当に誤魔化しておいてくれヨ」
 徹夜の作業でほとんど眠っていないオレは坂道に背を向けて、帰宅することにした。
「本当に、ありがとうございます!! かっこいい、ボクのこの絵、ずっと大切にします。ボクの、一生の家宝にしますから!」
 坂道の姿は見えないが、感動で声がボールのように弾んでいる。オレは後ろを向いたまま、坂道の方に軽く手を振ってやった。

(こんな絵で誰かが喜んでくれるなら、また描いても……いいかもしれねェナ)
 予想外に喜んでくれた坂道を見て、うっかり頬をほころばせたオレはそんなふうに感じてしまった。口角が勝手に上がっていく。
 皆より先に一歩踏み出すオレの生活はこれから忙しくなるけれど、暇が持てるようになったら、また……いつか。

【おわり】
2013/06/09 七篠
弱虫ペダルオンリーイベント「ペダルサミット」発行/無料配布本







【あとがきっショ!】


七篠です。ペダルにハマってから初めての単独オンリーイベントへのサークル参加が嬉しくて、無料配布本を作りました。
ずいぶん長い間同人活動を休止していたのですが、昨年ペダフェスに一般参加した時に「私もまた同人誌作ろう!!」と盛り上がって復帰したので、今回参加できてほんとうに嬉しいですv

美術好きな巻島さん……って設定は公式には無いですけど、
そうだったらいいな〜妄想で。あの独特なセンスでお願いします。
タイトルの「レオナルド」はカーネーションという邦楽バンドの曲から。
歌ってる人はおっさんですがw微笑ましい青春の曲です。

ここまでお付き合いいただき有難うございました!
感想などいただけるととても嬉しいですv
巻坂も坂巻もどっちも好きなので萌え話もしたいです安西先生……
(周りに萌え話できる人がいないため、とても飢えてます……;)
当方巻島さん廃人ですが、坂道くんも可愛くて格好いいよねー。と。

アニメ化も舞台もいろいろ情報公開されてきて期待!ですね!!!
もっとペダル好きが増えるといいな〜。

2013/06 七篠 / Update:2013/08/19