図書館のおねいさん

まだ暑さが残る夏の終わりの、とある日曜の午後。ちょうど上京していた御堂筋と坂道は秋葉原に集っていた。
若いオタク男女の人並みでごった返すアニメイト秋葉原店の入口、ガチャポンと雑誌コーナーを抜けて上のフロアにあがる。
「さすがに京都のメイトよりも在庫の数多いんやね」
御堂筋は棚にあるたくさんの単行本や色々な種類のグッズをしげしげと興味深く眺めた。
「ボク、アキバには毎週通っててどこに何があるか知ってるから、なんでも聞いてね!ヨドバシもソフマップもとらのあなも、ラジオ会館も詳しいよっ」
アニメグッズの棚に向かい、溺れそうなほど溢れんばかりの大量のグッズの中から、二人はアニメ『図書館のおねいさん』のコーナーを探し当てた。

坂道と御堂筋。一見、気が合わなそうな二人だが、インターハイでアドレス交換したケータイのメールを交わすうちにお互い「アニメオタク」ということを知り、仲良くなった。
坂道は主に売れ線の派手なアニメを守備範囲としているが、御堂筋は気に入った少数のアニメを繰り返し見るマニアックなタイプ。作品は勿論、スタッフリストをチェックする事も好きらしい。
そんな二人だが、「今季のアニメは『図書館のおねいさん』がアツいよね!/アツいな……」と意見が一致し、先程昼食をとったマクドナルドでストーリーから作品論、キャラの魅力などを語り合って非常に熱く盛り上がった。のだった。

『図書館のおねいさん』は今時少なくなった部類に入る「原作なしのアニメオリジナル」作品で、大ヒットはしていないものの、熱狂的なファンが付いていることで評判だ。
「『本?読書?全然キョーミない』という主人公の高校生、津田タクヤは、クラス委員を決めるホームルームで偶然図書委員に任命されてしまい、それをきっかけに、学校図書館司書の尾根井珠緒(おねい たまお)こと「おねいさん」と知り合うことになる。実は、おねいさんと図書館の部屋には誰にも言えない大きな秘密があり……。少年がほのかな恋と読書を通して成長する四季の出来事。学園ものにライトなSF風味が加わった佳作」
――と、雑誌『アニメージョン』のアニメあらすじコーナーに書いてあるが、まぁ大体こういう話だ。

「ボクは珠緒さんが好きや。……これ、これ。売り切れで京都のメイトにはもう置いてなかったんや」
御堂筋は、ふわふわの長髪で胸の豊かさが目立つブラウスを着た、メガネ姿の大人の女性のイラストが描かれたクリアファイルを棚から手に取った。
「ボクは姉さん萌えなんや。年上の姉さんは包容力があってエエよなぁ……」
「そう?ボクは可愛ちゃんが好きだな!名前の通り、カワイイし……。主人公の津田くんみたいに可愛ちゃんとデートしたい!前々回の放送…第16話の事だけど…では津田くん自身はあれがデートだった、って気づいてなかったけどねー。津田くんってちょっと他人の気持ちにニブい所があるからさぁ」
可愛ちゃん、こと松本 可愛(まつもと かな)は主人公、津田くんの隣の家に住んでいる同じ歳の、ちょっとドジっ子だけどいつも頑張っている黒髪ショートボブヘアの幼馴染っ娘だ。
坂道はおねいさんのクリアファイルと、その隣に置いてあるビキニにパレオ姿の可愛のクリアファイルを両手に取って見比べた。
「可愛ちゃんは水着姿のイラストも多くていいよね。やっぱり、水泳部所属だからかな?」
「水泳部だったらスク水か競泳水着やないとおかしいやろ。可愛のキャラは小野田くぅんみたいな萌豚がひっかかるように上手いこと出来とるわ」
「ひどい!ボクは【萌豚くん】みたいにブヒブヒ言ってないもん!」
……この二人のやりとりと同じく、『図書館のおねいさん』ファンは「おねいさん派」と「可愛ちゃんファン」で二分されてお互いあまり仲が宜しくないことでも有名だった。あと【萌豚くん】というのは作品中に出てくる太めな体型をしたオタク男子キャラ「萌又宏」の事で、彼は優秀で博覧強記なのだが萌え好きで「これは萌えるですねー。ブヒブヒ」というのが口癖だ。

――閑話休題。
「なんや、年上のおねいさんの魅力が分からないなんて、小野田くんはまだお子ちゃまやね」
アニメイトで買い物を終えて他のオタクショップを冷やかしつつ、歩道を歩きながら御堂筋はププ。と口に手を添えて坂道をからかった。
「子どもじゃないよー。ボクは単に可愛ちゃんが好きなだけ!で、おねいさんにはあんまり興味ないだけだよ……」
坂道は不満そうに呟く。
「可愛ファンは皆そう言うとるけど、欺瞞や」
「ギマン、って何?」
「自分を騙しとる。っていうことや」
「別に騙してないよー」
……などと話しているうちに、ふたりはJR秋葉原駅の電気街口改札に到着した。
御堂筋は親戚の用事でこの土日に上京していて、今から新幹線のぞみ号で京都まで帰るのだった。さすがに今日はロードバイクではなくて新幹線である。
「ありがと、御堂筋くん。アニメの話できて今日はすっごく楽しかったよ!」
「……ボクもや。またメールするわ」
――あとコレ、ボクからの心づくしの土産や。小野田くんもコレ見たらエエよ。御堂筋はそう言ってアニメイトの小さな青い袋を坂道に渡して改札の中に入っていった。
「なんだろ?これ」
御堂筋を見送った後、袋の中身がどうしても気になった坂道は駅ビルの壁に背を預けて、速攻で青い袋のテープの封を剥がして開けた。
「あぁっ!」
そこには『図書館のおねいさん』のキャラグッズ、おねいさんのイラストポストカードが一枚入っていた。
「このイラストをよく見て小野田くんもおねいさんの魅力に目覚めるとイイわ。ついでに来月号の『アニメイデア』の『図書おね』キャラ投票もおねいさんに一票よろしく」
と紫色のボールペンでさらっと書いてある。ポストカードは先程クリアファイルの横に並んでいたものだ。きっと、クリアファイルと一緒にこっそり買ったに違いない。あと、いつの間にこれ書いたんだろ……。
「や、やられた……。なんか悔しいよ、御堂筋くん……!」
坂道は手を固く結んで空に叫んだ。



帰り道、銀色に輝く愛車のママチャリのペダルを千葉方面にひたすら回しながら、坂道はずっと「おねいさん」の魅力について考え続けた。
(ボクは絶対!可愛ちゃん派!だけど……でも、でもっ。同じ歳の御堂筋くんから『お子ちゃまやね』とか『オトナの魅力が分からない』ってからかわれるなんて、同じオタクとしてなんだか凄く、くやしい!!!!!)
オタクだからこそ、萌えを極めたい。だから、おねいさんの魅力も知りたい!と坂道は熱望した。……が、残念ながらあまりピンと来なかった。

帰宅して、夕飯(今日はカレーだった)をもぐもぐ食べて。自分の部屋に戻って御堂筋からもらった「おねいさん」のポストカードを机の上に載せた坂道は蛍光灯のライトの下でそれを穴が空くほどじっと見つめた。
おねいさん、か……坂道はカードのイラストを指で撫でる。ゆるくウェーブがかかったロングヘアで、メガネ美人のおねいさん。いつもブラウスかスーツにタイトスカート姿で、おっぱいが結構大きいおねいさん(坂道も健康な若い男子なのでそこはやっぱり大事だ。可愛ちゃんは残念ながら胸のボリュームは控えめなのだ)。髪と同じでどこかふわふわしてる性格だけど、大切な本や図書館の事になるとキリッと真剣な表情で決めるおねいさん。
「そういえば、ボクと同じ『丸メガネ』なんだよねー。おねいさんは」
坂道は自分のメガネを外して、机の引き出しにあるメガネ拭きを取り出しキュキュっとレンズを拭いた。おねいさんを好きになる為の手がかりをじっと見つめる。
「うーん、やっぱり良く分かんない……ボクのタイプじゃないんだよなぁ、基本的に」

そうこうしているうちに夜が更けてきたので坂道はさっさと寝ることにした。
「……って、ダメだよー!今夜のアニメ録画するの忘れちゃ!」
坂道はガバっと掛布団を跳ね除けた。自室の小さいテレビの下にあるHDDレコーダーの電源を入れ、リモコンを使って今日の深夜アニメの録画予約をする。他の番組の延長でころころ変わる時間帯は正直勘弁してほしいけど、見逃す訳にはいかないもんね。本当はリアルタイムで見たいけど、翌日の授業に響くのでさすがに自重するアニオタ高校生・坂道だった。(でも『図書おね』とかお気に入りのアニメだけはリアルタイムで見る派)
録画セットを確認して、安心して坂道はこんどこそスヤスヤ眠った。zzz



翌日、月曜日はよく晴れた昨日とはうって変わって一日中しとしと雨だった。台風みたいに風が強い。
「あれっ、現代社会の教科書が入ってない?」
次の時間割の教科書が、坂道の鞄の中をひっくり返しても見つからない。廊下のロッカーにも入っていなかった。
(部室に置いてきたのかも……。そういえば、この前の授業の後に鳴子くん……『ワイ教科書忘れたんや。小野田くん貸してぇな』……に貸して、その後部室で会った時に返してもらって、そのままロッカーに入れちゃったんだった!)
坂道は教室を出て急いで部室に走った。
「あった、あった。」
確かに部室のロッカーの中に現代社会の教科書はあった。しかし、坂道が教科書を見つけた直後に無情にも予鈴のチャイムが鳴った。足が遅いので走っても本鈴には間に合わない。
「うーん、現社なんて退屈だし、ちょっとサボっちゃおうかな……そこに居る巻島さんみたいに」
坂道は、部室の隅に置いてある年代物の黒いベンチソファに横たわりすやすや居眠りしている巻島の方をちらりと眺めた。

――以前、巻島が
「雨の日の授業はちょっと苦手っショ、走ってないと眠くなるンだ……」
と口にしていたのを坂道も耳にしたことがある。
彼は強い低気圧に影響される体の眠気がけっこう重症らしく、それがあまり酷い時にはこのように時々部室を借りて授業をサボっているようだ。「オレの髪目立つから、教室で堂々と寝るのも先生に悪ィし、いちいち保健室行くのも面倒くさいっショ」……ということで、引退後の今も皆から黙認で部室を勝手に使って居座っている。それでも常に成績上位をキープしているらしいというから恐れ入るものだ。
割と堅物な手嶋などは「巻島さんはあんな風でいいんですかね」と本人の居ないところで咎めていたが、「まぁそう言うな。あいつ……巻島は、ちょっと色々な所がイレギュラーだからな」と金城が宥めていた。

年代物、と書くと格好いい感じだが単に古いだけの、ビニールがあちこち解れて中からスポンジが見えているようなベンチソファにだらしなく横たわり静かに寝息を立てる巻島を、坂道は物珍しく見つめた。同じクライマーの先輩で、割と親しい(と坂道は思っている)とはいえど、彼の顔を今までこれほどじっくり眺めたことは今までなかった。用もないのに人の事をあまりジロジロ見るのは失礼だし。

「はっ、」
ここで坂道は大変なことに気がついた。あまりの事に、うわっ、と口に両手を当てる。
「(お、 おねいさん と 巻島さん って、なんか、こう……。ちょっと、似てる?ような……!)」
ゆるくウェーブのかかった巻島の長髪。おねいさんの髪の色もちょうど緑色だ。玉虫色ではなく、濃い深緑だけど。
坂道は巻島の事を観察することで、もしかして「おねいさん萌え」の秘密が分かるかも!?と、カメラが接写する時のレンズのように巻島の方にぐいっ、と近寄った。

高級シャンプーかリンスか何かなのか、南国の甘くスパイシーな花のような香りが周りに漂う。無防備に眠っている巻島の、アニメキャラのような長い睫毛が目の下に影を落としている様子には女性っぽい優美さがあった。
「(や、やっぱりおねいさん、っぽい……!)」
「……ぅぅん……」
「(わっ!)」
無意識に出た巻島の吐息が艶っぽく、軽く寝返りを打った制服の隙間から垣間見える妙に細い腰も「巨乳なのに細腰」のおねいさんの雰囲気を坂道に思い起こさせる。こうやってよく見ると、坂道の母さんが昔から大切にしていて居間に飾っている綺麗なフランス人形にも巻島は似ていた。

「(巻島さんは、指も長くて細いんだよね……)」
どうやら自分はフェチっぽい所があるのかも?と最近なんとなく思う坂道は、次に巻島の指を眺めた。男のくせにゴツゴツしたところが余りなく、すらりとした彼の長い指が坂道は密かに気に入っている。だけどジロジロ見たら「ヘンな奴っショ」と訝しまれそうで、普段は自重しているけど眠っている今がチャンス!とばかりにしげしげと拝見する。
「(でも、指だけじゃなくて全部、いいんだけどね……巻島さんは。格好良くていいなぁー)」
背が低くて冴えない容姿のメガネくんで、アニメオタクで、特に取り柄もないボク、小野田坂道。インターハイで頑張った事はちょっと自信の元になったけど、それでも。一方、背が高くて派手で目立つ容姿は勿論、やること成す事格好いい巻島さんはとても素敵だ。まるでボクの好きなアニメキャラみたいで。
「アニメキャラ……かぁ。や、やっぱり巻島さんはおねいさんに似てるよ。あ、あと足りないのは……そうだ、アレだ!」
坂道は自分のメガネをスッ、と外した。

……しかし、眠っている人間にメガネを掛けるのは案外難しい。間違ってつるの部分を顔に突き刺したりしないよう、耳に上手く掛かるよう試行錯誤して何度もじりじり角度を変えながら、坂道は巻島の顔に無理矢理メガネを掛けさせることに見事成功した。
「よーし、これでオッケー! ……だけど、あぁっ。しまった……ガクリ。」
坂道は肩を落とした。坂道の望む姿に変身した巻島がいま、目の前にいる。――が、自分のメガネを顔から外してしまった坂道の裸眼視力は最高に悪い。浴槽に入る時と寝る時以外にはメガネを外さないほどだ。……なので、坂道にはせっかくの巻島の姿があまりよく見えなかったのだった。
「そうだ、丁度ここにケータイがあるじゃないか!」
ナイスアイデア!とばかりに坂道はシャツの胸ポケットに入れてあるケータイのカメラを取り出し、フレームに今の巻島の姿を(こっそり)何枚か収めた。

……でも、やっぱり自分の目で、肉眼で近寄ってじーっくり見たい。坂道はさらに巻島の方に顕微鏡のレンズ並に極度に近づき、メガネ姿の巻島の「おねいさん」コスプレを観察するため様子を伺った。息がかからないよう呼吸を止める。時々、息を吐くために離れ、また何度も近付いた。
「(うん、ボクの見立ては間違ってなかった!巻島さんの『おねいさん』コス、完璧だよっ!)」
さすがに衣装は変えられないし、豊満な胸もない(当たり前だ)けど、それでもメガネをかけた巻島は坂道の中ではちゃんと「おねいさんコスプレ」に見えて、最高だった。心のなかで坂道は親指を立てた。グッジョブ!ボク!!

「(な、なんか、ドキドキしてきた……こ、これが、萌え?? おねいさん萌え????)」
ボク、いま、おねいさんに萌えてる???萌えてるよ!萌え、萌え。萌えだ。分かったよ!おねいさん、萌えー!やったよー、御堂筋くん!ボク・の・勝・ち・だ・よ!!――と、はじめて自分の操縦で飛行機を離陸させたパイロットのように、ひとり激しく興奮した坂道は勝利のガッツポーズを取った。
「(すっごくドキドキ、ドキドキする……。おねいさん、おねいさん萌えがボクにも分かりました。巻島さん、ありがとうございます……!!)」
ワー。ワー。坂道の心のなかでどこからか大きな歓声が響き、目に見えない派手な紙吹雪が華麗に宙を舞う……。

(――あれっ。そういえば……。こんな感じのシーン、アニメの中にもあった、ような?)
激しいドキドキの最中、坂道はふと『図書館のおねいさん』話中の「とあるシーン」を思い出した。正確にいうと第13話のBパート、マッドサイエンティストの理科教諭に「赤点の代わりに人体実験だよグフフ」とムリヤリ惚れ薬を飲まされた主人公の津田くんがエヴァンゲリオンなみに暴走して、図書館で居眠りしていたおねいさんに口付けしそうになるシーン、だ。あのシチュエーションにそっくり!と坂道は気付いた。

「(えっ えっ えっ これって、ボクが巻島さん……もとい、おねいさんに チュー しなきゃ、っていうフラグなの……?)」
こうふん の あまり さかみち の あたま が こんらん している!
無意識に、ソファの上に身を乗り出した坂道は巻島の顔にぐっと近づいた。緑色のしなやかな髪。長いまつげと薄い唇。目元と口元にある黒子が異常に艶っぽく感じられる。

「(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイよ!!!!!!!!!!!)」

……しかし残念すぎる小野田坂道の天下はあまり長く続かなかった。唇があと1cmほどで触れそうな距離で、授業終了のチャイムが校内に鳴り響き、坂道の前の眠れる美女(女?)がちょうどそこで目を覚ました。のだった。
「……ん……。あ?なんだコリャ……」
目覚めた巻島は、自分の視界の異常に気づいたようで、ぱちぱちと何回か瞬きをしてむくりと身を起こした。
「うわぁ、ぁ、ぁ」
焦った坂道は急いで全力で後ろに身を引いた。
「目が見えねェぞ……んっ、メガネ?」
寝起きが悪く、不機嫌そうに眉を顰めた巻島は目の前に勝手にセットされた、身に覚えのないメガネを鬱陶しそうに手で外す。
「んー……」
「ごっ、ごめんなさい!巻島さん!!」
「あ、坂道。なんだ、このメガネ、お前のヤツかァ?」
巻島は坂道の丸メガネを珍しそうに眺めた。メガネに縁がない人間というのは、この視力矯正アイテムに対して案外興味を持つようだ。(と、長年の経験から坂道はそう思う)。
「はいっ、そうです」
「人が寝てる時にナニ勝手にイタズラしてンだヨ。ほら、」
巻島はメガネを、持ち主本人の手に返した。
「……ど、ドッキリカメラです!巻島さんが居眠りしてたから、ちょっと、イタズラしちゃえ、と思って……。す、すみません……」
「ドッキリカメラ、ねェ。クハ、それ一体どんだけ昔のテレビの話っショ」
まさか『勝手にアニメキャラのコスプレさせてました☆』とは言えず、さっと思いついた出まかせを段々小さくなった声で言い訳に使った坂道に、巻島は軽く呆れながら
「……なんか、ヘンな感じ」
と坂道のほうを見て呟いた。
「えっ、な、何がですか?か?か?」
もしかして、ボクの思ったことがバレちゃったの?と感じた坂道は わっ わっ。と挙動不審に陥った。
「いや……。メガネ掛けてない坂道の顔って、オレ、ちゃんと見たの初めてかもしれねェ。だから、お前がメガネしてないのを見て、『なんか、ヘンな感じ』って思ったんだヨ」
ソレが無いとどうせ何も見えネーんだろ。ホラさっさと掛けろっショ。と巻島は坂道を急かした。
「は、はいっ……」
坂道は言われてようやく自分の顔にメガネを装着した。視界が急にクリアになり、この距離でも巻島の顔がはっきりと見える。
「あァ、思った通りだナ。やっぱりこっちの方が似合ってるショ。坂道は」
坂道の目の前で、納得したように巻島は口の両端をあげてニヤッ。と笑った。

オレみたいに授業サボるんじゃネェよ。と言い残してベンチソファから立ち上がった巻島は部室を出ていき、なんとなく取り残された坂道は体の中にこもっていた呪いのように強い力が風船の中の空気のようにすぅっと抜けていくのを感じた。
一体何してたんだろ、ボク……。あまりのことに、坂道の思考がピーッと警告音を発して停止する。彼のハートのエンジンのキャパシティはすっかりオーバーヒートしていた。坂道はしばらくその場にぼーっと立ち尽くした。



「ど、どうしよう……困ったことになっちゃった……」
坂道と、コスプレした(させた?)巻島のおかしな体験。あれから数日が経った。が、あの日からおねいさんと巻島のことを考える度に坂道の胸のドキドキが全然止まらなくなってしまったのだ。夜になっても、次の日も、その翌日も、ドキドキしっぱなしだ。授業中にも自転車の練習中ですら変わらない。
特に、巻島と顔を合わせる度坂道はドキドキしてしまって、胸が苦しくなって、瀕死状態だった。
「なんか最近の坂道、ちょっとおかしくねェ?」
「そそそそんなこと無いです!ちっとも、全然。大丈夫。です。ふつーふつー。です」
「……そぉかァ?」
「……。(そうなんです、ボクおかしいんですよ……困ったなあ……ドキドキ……ボクのライフはもうゼロです〜)」
坂道は巻島となるべく顔を合わせないようにしていたが、あの派手な緑髪は校内のどこにいてもつい目に付いてしまう。玉虫色の髪が視界に入るたび、坂道はその場からダッシュで逃げ出す日々だった。巻島さんの顔が見たいけど、見られない矛盾。「こんなの絶対おかしいよ〜!」と思いながら。

アキバに行くほどの時間はなかったので、取り急ぎ近場の千葉のアニメイトに行ってアニメ誌と『図書館のおねいさん』グッズを買い漁ったら止まるかも?と思った坂道はそれを実行してみたが、ドキドキが止まることはなかった。
しかも、なぜかおねいさんを見ている時よりも巻島のことを考えている時のほうが遥かにドキドキする始末なのだった。緑色のゆるいウェーブがかった長い髪。あの長いまつげと薄い唇。目元と口元にある黒子を思い出すと坂道の心のなかがピンク色の霧がかったようにモヤモヤする。
「ついにおかしくなっちゃったのかなぁ……ボク。いっそ病院?で診てもらったほうがいいのかも???」

時々、自分を試すように坂道はケータイでこっそり撮った「おねいさん」コスプレの巻島の写真を画面に呼び出す。その度にあの時取った行為への気恥ずかしさと同時に、心のそこから沸き立つなんともいえない激しい萌えを感じて坂道はその度動悸がマシマシに増してグッタリするのだった。
「もう……ボク、ダメかも……どうしよう……。」
真夜中、坂道は自分の部屋で天井を眺めながら足りない頭をハムスターの歯車のようにぐるぐるぐるぐる活動させて考えた。はっ……!考え続けていたせいか、彼の頭に突如神からの天啓が閃いた。

「あっ、もしかして……!そうか、これが『新しい萌え』なの、かな?」

そうか! ボクは新しい萌えをようやく理解したんだっ、きっと!『新しいジャンル・おねいさん』萌えだー!おねいさん萌え!萌えの幅が広がったよー!やったー!これは御堂筋くんにメールで報告しておかなきゃね!フフフフフ……。
……と、坂道は自分自身で納得した。

――彼が本当の気持ちに気づくのは、さて、いつになるやら?


【おしまい☆】

2012/07/14 七篠