ビューティフルロングライド

 進む道の向こう側には、雲ひとつない青空がどこまでも拡がっている。だけど、今日のボクの心のなかはぜんぜん晴れてない。
「なんだろう。自転車乗ってても、楽しくない……」
 ひとりで練習している途中、ボクはため息を付いた。寒咲さんから貸してもらった新しいカーボン製のすごく高価な自転車は旧式のクロモリと比べて断然軽くて速くって、もっともっと遠くまで進むはずなのに、なぜか足元のペダルをいつもより重く感じた。
(これ以上回しても、無理かも。今日はもう帰ろう)
 カチャリ。ボクは足元のクリートを外す。居残り練習するつもりだったけど取り止めたボクは着替えて愛車のママチャリに乗り換え、裏門坂を後にしてまっすぐ帰り道についた。

 そう、ここ数週間はインハイとかで色々忙しくて、ママチャリでアキバに行ってない。新しいアニメグッズも欲しいけど、買いに行く気力もいまは無い感じ。あ、アニメ……。
「そうだ、アニメ!!今日スタートの『ラブ★ヒメ サードインパクト!』を見なきゃ……!」
 大好きなアニメのことを忘れるなんて、うっかりにも程があるよ。ボクはフラットペダルのケイデンスをガンガン上げて家路を急いだ。

「ただいまー」
 いつもは自分の部屋でアニメを見ることが多いけど、今日は母さんはパートでまだ帰ってこなくてひとりだし、と張り切って居間の大きなテレビを付けたボクは、膝を抱えていつものようにアニメを見る。神さまの像の前に佇む聖職者のように、アニメを見るときのボクはながら見なんかしないでマジメに画面に目を向けるのだ。
『はじまるよっ! 新しいラブ★ヒメ!! 私たちのサード☆インパクト!』
 原色あふれる画面の中にいるカワイイ彼女たちはいつでも楽しそうな雰囲気をテレビの画面のこちら側に伝えてくれる。だけど今日はボクの頭を悩ますモヤモヤのせいで、面白いはずの内容がすんなり頭に入ってこなかった。派手なセル絵のイラストに視線がただ上滑りしていく。
 ボクは途中でテレビを消してしまって、ごろん。と居間の畳の上にちいさな身体を横たえた。

「……どうして、楽しくないのかなぁ?」

 どうして、どうして。学校生活、自転車、アニメ。ボクの生活の全てのことが数珠のように繋がって暗い泥の底にブクブクと沈んでいくみたいだ。考えられる原因は、ひとつしかない。
――巻島さんが総北からいなくなってから、もうすぐ2週間経つ。あれから全てのことに力が入らないボク、小野田坂道は困り果てていた。



 練習の準備をしながら、右隣のロッカーの持ち主にボクは話しかけた。
「今泉くん。今度の日曜、新しいジャージが欲しいんだけど買い物付き合ってくれないかなぁ」
「悪い、先約があるんだ。金城さんと寒崎さんにフォームのチェックとフレームの調整で一日付き合ってもらうから」
 断られたボクは次は左側を向いて話しかけた。
「鳴子くん、今度の日曜って空いてる?」
「あいにくその日はなぁ、アカンのや。田所のオッサンと一緒にボーリング大会に出るんや。『商店街のイベントで出るから手伝え! 勝ったら焼肉おごってやるぞ』て言われてもうて……スマンなぁ、小野田くん」

 ……続けざま、二人にフラれてしまった孤独なボクは今日はひとりで峰ケ山に登ることにした。サイコンに付いているストップウォッチを使って何度かチャレンジしたけど、山の途中のAポイントからBポイント、裏門坂とだいたい同じタイムで測れるこの場所で、7分のタイムが全然切れなくて遅くなっていた。しかも、最後にポイントの間を走った時は思わず途中でぺたんと足をついてしまった。明らかにオーバーワークだ。
「何やってるんだろう……ボク」
 へとへとになって山頂にある休憩所の緑の芝生にどさりと仰向けに倒れこみながら、ボクは思う。
(今泉くんも鳴子くんも日曜日はそれぞれ先輩たちと楽しく過ごすんだろうな。でも、ボクには……)
 ずっと頼りにしていた巻島さんは、夏休みの終わりにボクを残して海の向こうへ、遠くへ行ってしまった。ボクたちロード乗りは多少遠い距離だって、いつでも走っていけるのがちょっとした自慢だ。それでも、さすがにイギリスまで行くのは無理な話で。
(今頃巻島さんはどうしてるのかな。もうボクのことなんか忘れちゃったかなぁ)
 初心者で修行不足のボクにはまだ聞きたいことや、教えてもらいたかったことが山ほどあったのに、突然手の届かない場所に行ってしまった巻島さん。だんだん悲しくなってきたボクはなにかを掴みたくて頭の上を流れる雲の方に手を伸ばした。指がうつろに空を切る。
(巻島さんはあの日『いつでも前を走ってる』って言ってくれたけど……。なんか、遠すぎて、わかんないや)
 ポイと捨てられたボクはひたすら途方に暮れるばかりで。山頂の駐車場の隅に横たわって空を眺めるボクの湿っぽい顔を、数人いた観光客に見られなかったことだけが幸いだった。



 次の日。ボクは自分の部屋の机の上に置いた退部届を眺めた。職員室の隅の部活用書類入れからこっそり取ってきたものだ。これは、ただの一枚の紙。現場を誰かに見られた訳じゃないから、この退部届を出しても出さなくてもそれはボクの自由、気持ちひとつだ。
……楽しくなくなってしまった自転車をやめて、ただのアニメオタクに戻ろうかとボクは真剣に考えていた。
(ごめんなさい、巻島さん)
 最後に一緒に峰ケ山に登った時に「自転車が好きか、坂道?」と聞かれてあの時は「はい!」って答えたボク。でも、今は好きじゃない、かも。だって全然楽しくないんだもん。遅いし、乗ってても辛いだけなんです、ごめんなさい。だから、ロードを降りて、ママチャリに乗って、アキバに行こう。前のアニメオタク生活に戻るだけだよ、ボク。
(でも……そしたら、今泉くんや鳴子くんとはお別れになっちゃうよね……)
 いまいち思い切れないボクは、退部届を引き出しにしまった。



「小野田くん! 突然だけどさぁ、今度の日曜日って空いてるかなあ?」
 手伝ってほしいことがあるんだ。ボク一人じゃちょっと無理でさ……。で、そこはロードでしか行けない場所なんだ。だから同じ自転車競技部の小野田くんに頼んでるんだけど。

―――と、昼下がりの教室で、どこか浮ついた感じのいつものあの口調で杉元くんがボクに声を掛けてきた。妙に馴れ馴れしい感じだけど、そこは彼の持つふしぎな人徳で苛立ちはすこしも起こらない。
「他の人や家族からは『用事がある』って断られちゃってさ!」
「次の日曜日だね。特に予定とかはないから、いいよ」
 断る理由も特になかったのでボクは杉元くんの誘いに乗ってみることにした。誰だって人から誘われるのは嬉しくて、断られたら寂しい。正直『ロードに乗って』というところにちょっとひっかかったけど、これからロードを辞めるなら今後長距離(アキバは別として)を乗ることもなくなるだろう。杉元くんには悪いけど、これでロードバイクの乗り納めをしよう。とボクはこっそり心に決めた。
「わぁ、良かった。じゃあ、頼むよ小野田くん!」
 何も知らない杉元くんはボクの手をとって無邪気に笑った。



 ボクがまだ悩んでいる中、あっという間に日曜日がやってきた。
 午前中に学校そばのコンビニ前で待ち合わせたボクと杉元くんは、総北近くの静かな林を抜け海沿いの広い道路に出て走り続けた。大きい道路だけど休日だからなのか、車は少なくてとても走りやすい。これなら、房総半島の先でもどこまでも飛ばせる気がした。
(あれっ、そういえばどこに行くか聞いてない、ような……???)
 時々交代してお互いのロードを引きながら進んでいく途中で、ボクは前を楽しそうにスイスイ走る杉元くんに声をかけた。
「あのさぁ、杉元くんっ。今日ってどこまで行く予定なの?」
「えっ、何か言ったかい? 風のせいでよく聞こえないんだけど!」
 ……まぁ、いいか。今日はボクのロードバイク走り納めの日なんだから。ボクは詳しく聞くのを諦めて黙ってペダルを踏んだ。今日だけは、杉元くんと一緒に、このロードが向かうままどこまでも行こう。
(いままで、ありがとう。ほんの短い間だったけど……ごめんね)
 ボクはハンドルからちょっと片手を離して黄色いロードの太いカーボンフレームをそっと撫でた。

 ボクと杉元くんのロードは海沿いの道をまっすぐに走りつづけた。海が近いのに今日は風はあまり吹いていなくて、とても快適で、走ることだけに集中できてとってもいい感じ。ペダルを回すその瞬間だけは頭がからっぽになる。邪念が多すぎる近頃のボクとは無縁だった時間が、今日はひさしぶりに訪れてきていた。

 しばらくの間ただひたすら無心に走っていると、いつのまにかボクの横に静かにロードを寄せて来た杉元くんが話しかけてきた。本当は車道での並走はダメなんだけど、道は広いし車もほとんどいないからまぁ、いいか。
「自転車ってさぁ、楽しいよね。小野田くんはどう思う?」
 杉元くんは話し続けた。
「ボクは、父さんから誘われて自転車を始めたんだ。中学の入学祝いにロードを買ってもらって。今日は来れなかったけど弟と一緒に走ることが多いかな。シンプルなしくみの機械だけど、ロードって人間の力だけで遠くまで行けるから凄いよねー。ボクは遅いから、いくら走ってもタイムはなかなか縮まらないし、たまにレースに出ても後ろの方だけど、どんなに遅くても乗ってる時は楽しいんだ」
「……遅くても、楽しいの?」
 ボクは杉元くんに思わず本音を尋ねてしまった。口走ってから「しまった!」と思ったけど、いったん出てしまった言葉はキャンセルできない。
「アハハ、すごく速い小野田くんにそれ言われるとちょっと恥ずかしいけど……」
 杉元くんはボクの失礼な言葉を気にせず続けた。
「最近は、のんびり走るほうが向いてるのかな、って思う時があるんだ。もちろん、他の皆みたいに速く速く走って自分の限界を試したい気持ちもあるし、みんなに追いつきたくて練習もしてるけど、それとは別に『走ることだけを楽しむ』のもアリかなって。『自転車競技部にいて何言ってるんだ』って思われるかもしれないけど、遅くても、もっと遠くまで行きたいって思うんだ。このコルナゴちゃんと!」
「走ることだけを、楽しむ……」
 杉元くんの言葉をボクはそのまま繰り返した。

「今度、ボク『ブルベ』ってロングライドイベントに出てみようと思っていてさ。ブルベはレースはと違って速い遅いとか順位は関係なくて、長い距離と時間をひたすら走るものなんだ」
「ブルベ。初めて聞いた。そんなのがあるんだ。長距離を、ひたすら走るの?」
「うん。2年の古賀さんが詳しいみたいでこの前色々教えてもらったんだ。あの人もあまり速くはないけど体力だけはすごいからブルベが好きなんだって言ってた。ただ、走ることが好きなんだって」
「走ることが、好き……」
「そう。その話を聞いてから、人と競わないで単純に楽しいのもいいんじゃないかなってボクも思ったんだ」
 杉元くんはそこまで話しおえると、ハンドルを持っている片手を離して上半身を軽くあげてボクの方を見た。
「あのさ。……正直、最近の小野田くんは見ててなんか辛そうな感じがするんだけど、大丈夫なのかい?」
「そ、そんなこと全然ないよ。辛いことなんて、なんにも……ないよ……」
 ボクはゆっくり首を振りながら、不調を隠していることや走りを楽しめていなかったことがどこか後ろめたくて、適当にごまかした。

「そうだ、あの歌、歌ってよ、小野田くんが得意な歌」
「え、歌?」
 急に言われたボクはキョトンとした。
「あの、調子がいい時に君がいつも歌ってる歌だよ!『♪ヒメヒメ、何とか〜』ってやつ。最近はあまり歌ってないようだけど」
「……えっ、えええっ!?」
 ボクは驚いた。インハイの時はともかく、自分ではあまり人前で歌った記憶はない。
「えーと、あの。ボクっていつもそんなに歌ってたりしてる?」
 ボクは恐る恐る杉元くんに質問した。
「調子がいい時は鼻歌で、もっと調子がいい時はいつも口ずさんでるよ!」
 総北自転車競技部の部員なら、そんなのみんな知ってることだよ! と杉元くんはボクに向かって答えた。
「うわっ。そ、そうなんだ……。な、なんか恥ずかしいなぁ……うわわ……」
 そ、それはじ、自分でも、知らなかった。無意識に自分で気づかないうちに歌ってたんだ。ボクの頬がみるみる赤く染まっていくのが自分でも分かる。うわぁ……。

「別に、恥ずかしいなんて思わないよ。楽しそうでいいんじゃない? 今日はさ、ボクにも教えてよ。その歌」
「じゃ……じゃあ、い、行くよ。行くからねっ。ボクのあとに、一緒に、ついてきて!」
 杉元くんからのお褒めの言葉にええい! と開き直ったボクは一回息を大きく吸って、吐き出して、あの大好きなアニメのメロディを口端に浮かべた。
「♪ラブリーチャンス ペタンコチャン!」
 杉元くんがボクの言葉を追いかける。
「♪ラブリーチャンス ペタンコチャン!」
「ヒメはヒメなの〜♪」
「ヒメなのだっ!」
 ジャジャジャン!

 ――そんなふうにボクと杉元くんはヒメヒメを一緒に歌った。誰かと一緒に歌ったのは、インハイで田所さんを引いた時以来だろうか。
(あの時は、ほんとに楽しかったなぁ。低い声の田所さんのヒメヒメソング、今思い出すと笑っちゃう)
 ボクはインハイ2日目のことを思い出す。「田所っちは置いていく!」と言い切った巻島さんに無理を言ったボクは、田所さんが来るまで待って、体調不良で弱った彼を引きながら走った。緊張して焦ってたけど、田所さんと一緒にヒメヒメを歌ったらなんだか楽しくなってきたあの時……。
 ……今も、同じくらい楽しいよ!!
(こんな楽しい気持ち、久しぶり! ありがとう、杉元くん)
 目の前を走る杉元くんの背中に、ボクは感謝の気持ちをそっと送った。



「ここだよ!」
 しばらくのあいだ長く続いたゆるい斜面を登りきると、一気に景色が開けていちめん海が見える丘の上のスポットにボクたちはたどり着いた。……そこは、海がエメラルドグリーンに見える不思議な光景だった。
「この場所からの景色、とっても素敵だろう? 太陽の光とこの辺のちょっぴり特殊な海流の加減でこう見えるんだって。フェイフブックのページに載せたいから、ここでボクの写真を撮ってよ、小野田くん!」
 だから、カメラマンが必要だったんだよねー。よろしくっ!と、背負っていたリュックの中からちょっと高価そうな黒いデジカメを取り出した杉元くんは、イェイ!キュピーン!額の前で二本の指を重ねて敬礼する感じのちょっぴりバカっぽい決めポーズを取った。『ラブ★ヒメ』の憎めない悪役の決めポーズと似てるのはきっと偶然だと思うけど。
(こんな写真、独りでもタイマーとか使えば撮れるんじゃ……)
 ボクは手渡されたデジカメのシャッターを何度か切りながら思った。
(あっ、ううん、違う。違うんだ)
 きっと、杉元くんは落ち込んでたボクを励まそうとしてこのロングライドに誘ってくれたんだ……と、慰められたボクは思った。いつもチャラチャラして調子いい感じだけど、けっこう親切なんだ、杉元くんって。ロード初心者のボクにいつも「何でもボクに聞いてよ! 経験者だからねっ」って教えてくれる杉元くん。

「この海って、ちょっと巻島さんの髪の色っぽくない?緑色で、いつもキラキラしてる。あの人、イギリスの大学でもきっとあんな感じで大学の中を歩いてそうだよね」
 杉元くんの口から不意に巻島さんのことを切り出されてボクの息が一瞬止まる。――ボクもいま、ちょうど同じことを考えていたから。
「うん、そうだね……。そうだよね……」
 いなくなった巻島さんのことや、それから上手くいかない自転車のこと。たくさんの入り乱れた気持ちがフラッシュバックのように次々と頭のなかに浮かんだボクの目から不意に涙がはらはらと流れ出した。急に感情が上がったり下がったりしたことで、張り詰めていた気持ちが決壊してしまった。
「う、ううっ……。えっ、えぐっ……」
 ボクは唇を噛みしめてちいさな子どものように泣いてしまった。
「……お、小野田くん! ど、どうしたの、大丈夫かい? た、タオルとか要る???」
「ごめん、ちょっと色んなこと思い出しちゃって……。すぐ止まるから心配……しないで……ぐすっ……」
 その時リュックの中から慌ててタオルを探して取り出す杉元くんの動きがコミカルでちょっとおかしかったんだ。だけど一旦気持ちがあふれてポロポロこぼれたボクの心はぜんぜん止まらなくって、ボクはメガネを取るのも忘れて赤くなった目元を拳で必死にぬぐった。

「小野田くんは一人っ子なのかい?」
 ボクたちは丘の上にちょうどぽつんと置いてあった木製のベンチに座った。タオルを貸してくれた杉元くんは、悲しみに翳ったボクの背中をずっとさすってくれて。母さんみたいな、気持ちが楽になる感じの温かい癒やしの手だった。
「えっ。うん、そうだけど……何?」
「さっき言ったけど、ボクには中学生の弟がいるから家ではお兄ちゃんなんだ」
 だから、今日はボクのことをお兄ちゃんだと思って、甘えてくれていいからね。そうだ、『杉元のお兄ちゃん』って呼んでよ! と杉元くんは急に泣きだしたボクを慰めるように声をかけてくれた。
「お兄ちゃん……。ボクたち同級生なのに、お兄ちゃんっておかしいよ、あはは。……杉元お兄ちゃん」
 ボクの涙が不意打ちのくすぐり笑いでしずかに止まっていった。
「今日のボクは、小野田くんのお兄ちゃんだからね!」

「あはは。ありがとう……お兄ちゃん」
 緑色にかがやく海と杉元くんの優しさのおかげで、ボクの悲しい気持ちは少しずつゆっくり小さく溶けていった。



 月曜日、部活の朝練に向かったボクの目の前で、プレハブの部室のドアから鳴子くんがひょっこり顔を出してトコトコ近づいてきた。
「この前はえらいスマンかったなぁ、小野田くん」
「あ、おはよう鳴子くん。ボーリング大会はどうだったの?」
「ああ見えてオッサン、結構下手クソやったんや。ガターばっかりやったわ。ププッ。『オレは球技はダメなんだ……』とか言い訳してたけどな。でもこの鳴子章吉さまのストライクのおかげで3位取ったったでー!!」
 その後でゴチになった焼き肉ウマかったわぁ。特に脂身たっぷりの骨付きカルビが絶品で……と楽しそうに喋る鳴子くんの口がいったん止まって方向転換した。
「……あ、いや、そんなことはどうでもええんや。今度な、ワイとスカシと小野田くんの3人でどっか遊びに行かへん?」
「この前の日曜は二人とも用事があって、小野田からの誘いを断ってしまったからな。その代わりに、だ」
 続いて部室に来た今泉くんがボクたちの会話に入ってきた。
「スカシと一緒って事で、ワイ、えぇー? とか思ったんやけど。スカシがわざわざお願いしてきたから仕方ないわぁ」
「それは一言余計だろ、鳴子!」
 いつものように仲良くケンカし出したふたりを適当にかわしてボクは答える。
「うん、いいよ。ありがとう。それならボク、ネズミーランドに行ってみたいな!」
 アキバは一人でも行けるけど、ネズミーは一人じゃ寂しいから……。実はボク、まだネズミーランド行ったことないんだ。ボクはふたりに秘密を告白した。
「小野田くん、それ、マジでか! 生まれてからずっと千葉県民なんやろ?」
「母さんがネズミー好きじゃなくて、遊園地に行くときはいつも近くの『千葉よみふりランド』だったんだ」
「ネズミーだったらオレはフリーパス持ってるけど。親の仕事の関係で」
「マジか! さすがスカシん家金持ちやなー。それじゃ今回は全部スカシのおごりっちゅうことで」
「か、勝手に決めるな赤頭!」

『♪ヒメはヒメなの♪ヒメなのだ♪』
 3人で話し合っている途中、突然ボクの制服の胸ポケットから甲高いメロディが流れだした。
「なんや、アニメの歌か。小野田くんのケータイか?」
「ちょっとごめん、メール来たみたい。見てみるね」
 ボクのケータイにはこの2人(と母さん)以外からはめったにメールなんか来ないのに、誰からだろう。ボクはケータイの画面をぱかっと開けた。
「わっ!」
 それを見たボクは思わず声を上げた。。
『坂道へ。山、いっぱい登ってるか? オレはようやくこっちの生活にも慣れた感じで』
 ボクのケータイに届いたのは、巻島さんからのメールだった。
『昨日、海まで走ってきたからその時の写真送る。またな』
 メールには海を撮った写真が添付してあった。水平線で切り取られたふたつの青いシーンが、明るい太陽の光をあびてきらきら輝いている。
(……巻島さんも、昨日、ボクと同じように海を見ていたんだ)
 遠くにいてもどこか気持ちが通じているように思ったボクは感動した。それに、メールが来たってことはボクのことを覚えていてくれたってことですよね! 巻島さん!!

 ボクは巻島さんの海の写真をケータイの壁紙に設定して、ふたりのほうにくるりと振り返った。
「今泉くん、鳴子くん、早く練習に行こうよっ。ボク、いますごく自転車に乗りたいんだ!」
 ゴーゴー! とボクは頭の上に拳をふりあげる。
「なんやぁ、小野田くん。今日は妙にやる気やなぁ!」
「やれやれ。だから鳴子はいつも一言多いよな。やる気がある事はいいことだろ。じゃ、行こうか小野田」
「なんやと! スカシぃ!」
「あはは、行く行く」

「みんな、おはよう! 調子はどうだい?」
 ふたりに続いて、杉元くんも部室にやって来た。
「あっ、杉元お兄ちゃん。おはよう」
「は? なんやソレ? 杉元が小野田くんのお兄ちゃん、て??」
 変な顔になった鳴子くんが頭の上に疑問符を浮かべた。
「ボクたちは昨日のロングライドで兄弟になったんだ。そうだよね、小野田くん」
「そうだね、杉元お兄ちゃん」
「??? 最近の若い子の言うことはようワカランな……」

 疑問符が消えない鳴子くんの横で、満面の笑みを浮かべたボクは、体の隅々まで新鮮な血液がまわり、心のなかが幸せな気持ちで温かく満たされていくのを感じていた。

【おわり】

2013/10/27 七篠