「複雑なジェラシー」- 妄想会議

複雑なジェラシー

※ 巻島さんと坂道で大学生話です。未来の設定なので色々捏造してます。
※ 坂巻坂です。お付き合いしてます。

――正直な話、オレの勘は結構よく当たるほうだ。……特に悪い方向で。
昼過ぎの部室で、机を挟んで向かい合ってメシを喰っていた時に後輩・小野田から「ちょっと話があるんですけど」と持ちかけられた時に何だか嫌な予感がしたのだ。
「……あの、荒北さん。巻島さんから、ボクについて何か聞いてませんか?」
歩道に落ちているガムをうっかり踏んでしまった時みたく、荒北は眉間に皺を寄せてたいへん面倒くさそうな顔をした。たまにはちょっと贅沢するかァと思って買ってきた上級カルビ定食弁当が不味くなる予感。
「なんか、最近、避けられてる感じがして……隠し事されてるみたいな」
バラエティ番組で司会者がゲストに退場を促す時のポーズで、荒北は片手を横にぐいっとかざす。
「ハーイ、リア充の方おつかれさま!痴話喧嘩は部活に持ち込まないで下さいねー!部内恋愛は禁止!」
追い打ちをかけるように、シッシッと手で犬を追い払うフリをする。
「そんな部則、聞いた事ないですよ……」
荒北のアテにならない答えを聞いて、部室の真ん中にある安作りの大きな机に坂道は突っ伏した。メガネが当たるのを避けるため一旦横を向き、ジトッとした目を荒北に向ける。
「ったく、冗談だよ!大体、ウチは男しかいねーだろ」
しっかりしてくれよ。貴重なクライマーが2人退部されたら副キャプテンのオレが困るだろうがテメーら。と荒北は変化球ぽくのろける後輩に苦情を吐いた。

荒北は副キャプテンだが、この部内では実質的にはキャプテン扱いの立場だ。ことしの春、福富が2年次修了のちフランスに留学したため、東都大学自転車競技部は部員が一名減った。総北高校と同じく新入生ウェルカムレースで学年代表を決めているこの部では本来3年次のキャプテンは福富になる、はずだった。次席の荒北が繰り上げでキャプテンになったが「オレはあくまでもこの部活の副キャプテンだ。キャプテンにはならねー」 と言い張るので、形式上、副キャプテンと呼ばれている。
(性格の悪いチームメイトは陰で「荒北は副キャプテンじゃなくて【福ちゃん】キャプテンだろ?」と言ったが、そいつは後で部室裏にてみっちりシメられたらしい。口は災いの元である)

……閑話休題。

「直接聞けばいいだろうが。お前ら遠距離恋愛じゃねーんだからサァ」
細い眉を大きく顰めて面倒くさそうに荒北は坂道に呟いた。言われてみれば確かに、ここ数日間の巻島はミーティング中に何度も深いため息を付いていたり、集団練習中になんでもない平坦な道で落車するなど集中心を欠いていることが多く、何かについて悩んでいたようにも感じる。しかし向こうから特に相談でもされない限り部外者が口を出すことではない。
「巻島さんに直接聞けるなら、ここで聞いてませんよー」
……ったく、このチキン野郎。と続けたかったが、そんな自分も長年連れ添った好きな相手に対して 何も言えない「ただの親友」状態をキープし続けている身なので、人の事をどうのこうの言える立場じゃねーよなァ、と荒北は自重した。
この後輩、普段の生活ではアニメオタクの上に挙動不審気味だが、 自転車に乗る時、特にレースになると打って変わって圧倒的な強さを見せる不思議な奴だ。「レースでその人間の本性が出る」と確信している荒北から見て、小野田自身の本性は強いのだろうと感じる。 しかし人間、さすがに惚れたはれたが係わる事では弱気にならざるを得ないようだ。

数カ月前に起こった、とある出来事(他人から見ればコップの中の嵐のように見えるかもしれないが、本人達はいたって真剣だ)を介して小野田と巻島はめでたく情を通わせる関係となった。 その後は周りがムカつく程の愛情と信頼(一言で表すとラブラブモード)が二人に訪れた……ように見えたが、 やはり実際このような関係になってみると、人間同士の濃厚な付き合いというものは単純ではないから色々悩みも出てくるのだろう。
「じゃあ、巻島となんか話す機会があったらそれとなく探っておいてやるよ。ソレでいいだろ?」
「ありがとうございます、荒北さん!」
曇り空から現れた太陽並みに眩しい笑顔で、坂道は荒北の手を取り上下にぶんぶん振り回した。高校生の頃に比べて身長は大きくなったけれど坂道の素直な態度は変わらない。
「ったく、まだオレは何もしてねーだろ。お礼するなら終わってからにしろ!」
……全く、仕方ねー奴らだな。荒北の手を坂道が離した時にちょうど、アクションゲームの効果音っぽい着信音が坂道のケータイから鳴りだした。 カバンから早速ケータイを取り出し、メールの差出元を確認する。
「……ちょうど、巻島さんから。でした」
呼ばれたからちょっと出てきますね、あとでちゃんと練習来ますから!坂道は部室のドアからロケットもかくやの勢いで駆け出した。
「おう、メガネくんではないか?練習は?」
「あっ東堂さん、また後で!」
近隣にある他の大学に通う東堂が坂道と入れ替わりに部室の中に入ってきた。 ウチの大学のヤツらは手応えが無くてつまらん次第だよ、という理由を付けて東都大に始終出入りしてる東堂なのでこれは珍しい事ではない。下手な部員よりも頻繁に来ている位だ。
「今日はなんだか、勢いづいていたなメガネくんは」
「巻島とデートらしいぜ。ちょっとケンカしかかってるみたいだけどな」
もう、リア充ども爆発しろ、だ!荒北は不貞腐れた表情で毒づいた。
「ハハ。誰かとお付き合いするというのはなかなか難しいものだからな……なにしろオレも」
東堂は無意識にぽろっと近況を零してしまった。荒北はガシッと東堂の肩を掴む。
「……それ、詳しく聞かせてもらおうかなァ?東堂ェ」



大学近くにある白壁の喫茶店はコーヒーの味と趣味の良さが評判で、著名タウン誌などにも時々取り上げられている。 メニューの値段は全体的に高めだが、その分居心地の良さが保証されている空間だ。 いわゆるお洒落カフェにはほとんど縁のない坂道だが、今日は巻島がこの場所を指定してきたのだった。(彼はこのカフェの常連で、課題レポート作成に詰まった時によくこの店を使っているらしい)
さっそく坂道が遠慮気味に入店すると奥のほうから名前を呼ぶ声がした。

焦茶色基調のお洒落な店内の、一番奥のテーブル。クリーム色の高級そうなソファに巻島は腰掛けていた。
「そこ、座れっショ」
巻島は読みかけの仏語の専門書を閉じて鞄に片付けると手と足をそれぞれ組んで座り直し、ひとつ息を吐き出した。 机上の厚ぼったいガラスマグの中にコーヒーはあと少ししか残っていない。 坂道は向かいのソファに座り、悪い予兆を感じて握った拳を両膝に乗せた。しぜんと視線が下を向く。
(棚にあったシナモンのクッキーを勝手に食べちゃったことかな?それとも、巻島さん家に泊まった時に深夜アニメが見たくて夜中こっそり起きてたことかな……?)怒られる理由を色々想像してみたがどれもいまいち決定打に欠けた。もう季節は冬の入口だというのに手のひらに汗がにじむ。

注文を取りに来た店員が去った後、
「えーと何だかよく分からないんですが、なにか改めてボクに話すことがあるんですよ ね……」
冷や汗をかく坂道の方から言葉を切り出すと、テーブル周辺の空気がじっとりと湿ったように重さを増した。 カジュアルな話なら学内か、大学近くにある巻島の住むマンションですれば充分だろう。 違う場所にわざわざ呼び出される、という事から普段は色々鈍い坂道もさすがにそのことには勘づいていた。

ふたたび無言のまま、坂道が注文したブラッドオレンジジュースに入った氷がすこしずつ溶けていく。
長い沈黙の中、巻島はいつもの困り眉をさらに下げ、一回目線を逸らした後、思い切ったようにもう一度坂道のほうをじっと見つめ、 ため息と共に意外な言葉を告げた。

「……別れよォか、オレたち」

「ちょ、な、何言ってるんですか!!」
全くもって予想の範疇外から飛んで来た巻島のひどい発言に坂道は思わず立ちあがり、声を張り上げた。 立ちあがった勢いで身体ががつんとテーブルに当たり、水の入ったグラスが氷とともにぐらりと揺れる。 静かなカフェの中で周りの客から不審な視線を集めてしまったことにハッと気づいて赤面した坂道はソファに座りなおした。
「……お前、オレ以外に好きな子いるんショ」
それとも、もう付き合ってたりすんの?怒ったように斜め横を向いた巻島の口からはさっきから坂道にはまったく心当たりの無い話が続いている。
「そりゃ、普通に考えたら女の子の方がいいよナ。堂々と付き合えるし、アレやソレなんかも色々イイだろうし……」
巻島はテーブルの上の水滴を集めると指で「の」の字を何度もなぞった。
「誤解です、そんな相手居ません!ボクは巻島さんだけが、」
「お前の好きな『あずちゃん』はさぞかし可愛いんだろうナァ」

「……あずちゃん?」
坂道は首をかしげて止めた。頭に「???」とハテナマークが浮かんでいる。
「お前『あずちゃん、大好き』って言ってた、ショ……」
不貞腐れた態度の巻島は寂しそうにちらりと坂道を見たが、長いまつ毛を伏せてひどく傷ついた顔をしている。
「えーと、あの。ボク、いつそんなこと言ってました?」
濡れ衣を着せられ坂道は焦った。
「……やっぱり、好きなんショ」
あずちゃん?の事。巻島は捨てられた猫のように悲しげな瞳で続けた。
「寝言だよ。ねーごーと。一週間前、オレの家に泊まった時、お前が……。寝言で『あずちゃーん、大好き』て。」

「寝言……。寝言でボクがあずちゃーん?ですか!? ……あ、あ、あはははは……!」
坂道は突然堰を切ったように笑い出した。一方、それを見て今度は巻島の頭が混乱しはじめる。 ここで笑うのか?一体どういうことっショ??? 人間、浮気がバレた時には開き直らないでなんとか隠すか、どうにかして誤魔化すものだろう。 何事にも素直すぎる坂道の性格からみて隠し事ができるタイプとも思えない。 それともここで笑ってしまうほどオレと坂道はどうでもいい関係だったんだろうか……巻島は暗闇の沼に足を取られたような気分になった。

「あっ、ごめんなさい、笑っちゃったりして……。巻島さん、落ち着いて聞いて下さいね」
思いがけない坂道の反応に対して、どうしたものかフリーズしている巻島の机上の手に、 坂道はそっと自分の左手を添え、反対側の右手で器用にケータイを開け、 ボタンを操作した。待受画面に長い黒髪を二つに分けた可愛い女の子のイラストが現れる。 そのままケータイを巻島に向け水戸黄門の印籠のようにかざした。

「あずちゃん、じゃなくて『あずみゃん』は、ボクの好きなアニメ『ラブ☆ヒメ』の登場人物です。 あずみゃんは主人公と同じヒメ候補でー、可愛くて、ライバルの女の子たちからも人気がありまして、 『あずみゃーん、大好き(はぁと)』と毎回言われるのがお約束なんです。勿論ボクもあずみゃん大好きです。あずみゃんは黒髪ロングのツインテールで艶があ……」

「坂道、もういい。もういいショ……」
意外な展開に、すっかり気が抜けた巻島は自分の額に手を当て、長い髪を激しくかき回した。
「クハ、なんだ。オレは、アニメの娘相手に嫉妬してたってことなのかヨ…… くっだらねぇー。おれの1週間悩んだ労力、返してほしーっショ……」
あー、ホント下らなすぎて涙、出てきたショ……巻島は長い指でしばらくの間目じりを拭い続けた。



誤解が解けた恋人たちは、住宅地の間の人通りの少ない道を横に並んで歩いた。初冬の夕暮れ時はとっくに陽が落ちてしまってもう遠くまでは見渡せない。
「なんか、行き違っちゃってたみたいで。ごめんなさい、誤解させてしまって……」
「いや、勝手に思い違ったオレが悪かったショ」
お前のこと信じきれてなかったオレのせいだヨ……巻島は内心ひどく反省した。 坂道がアニメや漫画のキャラクターを大好きな事は勿論知っているはずだったのに、そこまで考えが回らなかった。存在しない相手に対して嫉妬するなんて格好悪すぎる。それは少なくとも彼の美学に反していたし、 坂道が二次元というファンタジーの世界を愛する態度を否定したくはなかった。

もう辺りも暗いですし、ここは裏道で人も来ないですから。……ちょっとだけ手を繋いでもいいですか?と言って坂道は巻島の左手に手を伸ばした。温めるように手の甲をさすって、そっと指をつなぐ。
「もう不安にさせないようにします。だって、ボクは巻島さんのこと好きだから。二次元の子も好きだけど、三次元の中で好きなのは巻島さんだけなんです。「好きな人を不安にさせるのは良くないゾ☆」って『ラブ★ヒメ』でも言ってたし。 あっ、もしかしてアニメや漫画好きなのも止めたほうがいいんでしょうか。また誤解の種になっちゃうかもしれないので……」
坂道はおあずけを食らった犬と同じ顔で巻島の方をじっと伺った。
「……止める必要ねーショ。今の話聞いてたら、お前がオタク止めるの、ぜってー不可能レベルショ。クハハ」
巻島は坂道の方を見てニヤリと口角を上げて笑った。さっきまで別れを覚悟して泣きそうだったのにまったくオレは変だな。 相手のたわいもない言葉で一喜一憂するなんて、ほんとうに恋愛というものは不思議だと感じる。

――近くに誰も居ないですから、ちょっとだけ、ギュッとしてもいいですか? 坂道はそう呟くと、お前がしたいなら仕方ねーっショと照れ隠しに口走る巻島をそっと抱きしめた。 坂道の高校入学以来、4年間の日々でおおかた同じ目線に届くまで伸びた身長は坂道を頼りある青年に見せる。 誤解も解け、安心して巻島は坂道に体重を預けた。唇からは甘酸っぱい果実の香りがした。
「……部室行かないでもう帰るかァ。ウチ、寄ってく?」
「はい!」
忠実な柴犬みたく坂道は元気よく声を上げた。



その晩は結局、坂道は今夜は(今夜も?)巻島のマンションにお泊りすることになった。
「今夜分のアニメの録画はちゃんと予約してあるので、大丈夫です」
室外と違って暖かな布団の中でぬくぬくしながら好きな人と一緒にいる夜の時間が彼らのささやかな幸せだった。
「……そのことだけど」
えーと、アニメの話じゃなくてナ。巻島はおもいきって切り出した。
「坂道も一緒にここに住んだらいいんじゃないか、ってオレは思ったっショ」
「えっ」
まったく今日は驚く事が多すぎだよー。と坂道は思った。
「また誤解してすれ違ったりするのはお互いにとって色々良くない事が判ったっショ……。一緒に住めば時間も増えるしな。ここは大学も近いからその分ロードに乗れるしアニメも余分に見れるっショ?」
現在千葉の実家から電車で片道2時間かけて通学している坂道には渡りに船の話である。
「でもここの……都内のマンションの家賃なんて半額でも払えません、ボク。実家は学費だけでイッパイイッパイですし」
坂道は巻島の気持ちがとても嬉しかったが、金銭の問題という現実的な壁があった。
「この部屋、オレの持ち家だから家賃は要らねーショ。食費くらいは入れてもらうけど」
ちょうど1部屋空いてるしなァ。そうだな、部屋代の替わりにメシくらいは作ってくれるっショ?と巻島は更に現実的な提案を付け足した。
「……考えさせて下さい……。」
勿論本心では速攻で即答したいけど、適当に約束するのはボクの趣味じゃない。 バイト増やせば自分の食費くらいは稼げるかな……と仮算しつつ、これから二人が迎える今後の新しい生活に坂道は期待をふくらませた。



「結局、巻島と小野田のヤロー戻って来なかったなー。チッ」
夜の部室で練習を終えた荒北はひとり舌打ちした。
「まぁ、皆が元気で上手くいくことは悪くないだろう?靖友」
「うっせ!東堂!テメーはさっさと帰りやがれ!明日一日デートなんだ〜♪って言ってただろうが」

まったく、リア充どもめ末永く爆発しろ!荒北は苦笑いしながら、心の隅で彼らの幸せを願った。


【おしまい】

2012/03/23 七篠