彼のメガネ @±@¬

【大学生シリーズ。坂道と巻島さん(順不同)はお付き合い中。同棲してます。】
(時間軸は「複雑なジェラシー」の後、あたりで)(坂道巻島荒北は同じ大学の自転車競技部所属)


「ハァー……」「あーぁ……」「うーん……」
「巻島ァ!いい加減にしろよ、ウゼエんだよ!」
自転車競技部部室に備え付けの安っぽい長机で部誌にちまちまと細かく記録を付けていた荒北は、ガタッと椅子を蹴り立って叫んだ。さっきからずーっと、近くで巻島がしかめっ面のままため息を量産しながら窓の外の何でもない景色を眺めている事が、側にいた荒北をイラァ……とさせたのだった。
「テメー、シケたツラしてさっきから、構ってちゃんオーラ出し過ぎだろ!『誰かに慰めてほしいですー』って思ってんのワカるんだよ!」
荒北靖友という男は『回りくどい事』がこの世で2番目位に嫌いだ。
「……。」
内心を言い当てられた巻島は、変わらず辛そうな顔で黙ったまま、若干後ろに身を引いて荒北の方をふり向いた。
「で、何悩んでるんだよ。ホラ言ってみろ。オレで良かったら聞いてやるからさァ」
荒北は巻島の肩を軽く抱いた。面倒くさがり屋だがその実けっこう親切な荒北は、一部の部員の間で「あいつは『世話焼きオカン』だからなー」というあだ名が付けられている事をまだ知らない。

「じゃぁ……その代わり、他の誰にもナイショにしておいてくれヨ」
と、荒北の隣に腰掛けた困り眉の巻島は自分のカバンの中から一通の手紙をごそごそ取り出した。それはシンプルな、可愛らしい薄ピンク色の封筒だった。ブルーブラックの筆跡が残る万年筆のインクで「小野田坂道様」と丁寧に宛名が書かれている。封筒の裏側にはハート型のシールで封がされていた。どう見てもラブレターです。ありがとうございました。
「おい、何でお前が小野田チャン宛のラブレター持ってンだよ。……ま、まさかこれ、自分で書いたとか?」
2本の指で、テレビドラマの鑑識係みたく目の前のラブレターを丁寧につまみ上げた荒北は片眉を上げて疑問を吐いた。
「こっ、こんなのオレが書くワケねーショ!ソレをこれから説明すんだヨ……」
巻島は苦々しい顔でボソボソと話し始めた。



――この前さァ、坂道が大麦峠のヒルクライムレースで優勝したっショ?あと、インカレでもアシストで大活躍したしナ。校内の新聞サークルがその事取り上げて特集記事にしてから、なんかモテてるらしいんだヨあいつ。女子から「自転車っていっぱいカロリー使うんでしょ?」って大量にお菓子もらったり、一昨日は手作り弁当ももらって来たなァ。その後丁寧に弁当箱洗って返して、お断りしてたケド。あいつオレには気を使って言わネェけど、他の女子からも何回か告白受けてるらしい……ぜ。

「はぁぁ」
そこまで言うと、巻島はもう一度深くため息をついた。
「ふーん。小野田チャンはおモテになって羨ましい限りだな」
他人のモテ話なんてどうでもいい話だぜ。くっそ。馬に蹴られちまえ!と荒北はウンザリ顔をした。
「坂道と付き合ってるオレには死活問題っショ!」
めずらしく巻島は声を荒げた。
「……最初はまァ、多少モテてたってどうでも良かったんショ。ぜんぜん気にして無かったと言ったらウソになるけど、坂道と付き合って同棲までしてるオレの勝ちだヨって全然ナメてた。でも、でも……まさか、オレと同じゼミの女子からもラブレターが来るなんて!」
巻島は握った2つの拳をわなわなと震えさせた。
「『巻島くんて、小野田くんと同じ自転車部なんでしょ?これ、渡してくれる?お願い』
って、お淑やかな黒髪長髪美人のその娘まで照れ顔で小野田に夢中だなんて、オレはすごく驚いたっショ。そこまで学内全体で小野田人気が爆発してるなんて思ってなかったんだヨ……」
「『オレと小野田は付き合ってるからダメ。』ってそこで断れば良かったんじゃねぇの?」
「狭いゼミ教室だぜ?そのシチュエーションで、さすがにソレは言えねえっショ……。」

――小野田の人気が出るのはまぁ、オレには判るけどな。と恋心と嫉妬心にうろたえる巻島を前にして、荒北は自分の顎に手をやって考えた。スターのオーラというか、何もかもが輝いていて魅せる人間というのは数は少なくとも実際存在するものだ。皆の心をめくるめく魅了し、捕えていく存在。いまの小野田にはその萌芽が見えている。かつて、福富というスターの側にいた人間として荒北はそう感じる。
もっとも、福ちゃんがオレの心を捉えたのは決してそれだけが理由じゃァねーけど……。

「そんで、急に不安な気持ちに襲われたんショ」
オレはもうダメかもしれねェ。巻島は地面に落ちたばかりのソフトクリームのように上半身をベッタリと机に低く横たえた。
「バイ寄りのゲイなオレはともかく、坂道はもともとノンケだからさァ。あいつ、アニメでも可愛い女の子が大好きだろ?だから、今は良くてもいつか、普通の女の子にさらわれちまうのかオレは心配なんだヨ……」
「ま、そう落ち込むなよ巻島。お前はいま誰よりも小野田チャンの近くにいるんだから、きっと大丈夫だろ」
そうだといいんだけどねェ……。荒北から肩をポンポンと叩かれた巻島は、たとえ気休めでもフォローされると嬉しいもので、すこし落ち着いた。

「パピコ買って来ましたー!これふたりで一本ずつ分けて食べましょうよ、巻島さん」
その直後、坂道が部室のドアに足を踏み入れてきた。ダッシュで入口のほうに向かう巻島を見て
(ポチかよ……)
子どもの頃、実家で飼っていた愛犬のことを思い出して荒北はハッ、と笑った。



「ご馳走様でした」
巻島はからっぽになった皿を前にして手を合わせた。坂道ィ、今日も美味かったっショ。料理が割と得意な坂道の作った夕飯を食べてお腹を満たした巻島はご満悦だった。心を暗くよぎった不安も、荒北に打ち明けたことで軽くなった……ような気がする。同級生から預かった坂道宛のラブレターは、このまま渡していいものか、勝手に処分すべきか迷った挙句未だカバンの底に入れたままだが。
(でも、信書だしなァ。さすがにラブレターを勝手に捨てるのは人としてどうかと思うっショ)
ダイニングの椅子に座ったまま、腕を組んで巻島はうーんと考えながら
「坂道……あのさァ」
「何ですか?」
キッチンのシンクで背を向けて洗い物をしている坂道の背中にラブレターの件を切り出そうとした寸前、部屋の片隅の小さな台の上になにげなく置かれていたパンフレットが巻島の目に止まった。

『これであなたも2.0 レーシック手術 山之手眼科クリニック』

と表紙に大きなゴシック体の活字で書いてある。
「何ショ、コレ。レーシック?手術って?」
坂道、お前の目ェ、どこか悪いのか?台に近づき、パンフレットを手に取った巻島はラブレターのことはさておき焦った。
「あ、それですか。レーシックってのは今流行の『近眼を治す手術』のことです。保険が効かないんで高いんですけど、スポーツする時ってメガネよりやっぱり裸眼のほうがいいかな、って思って。今やってるアルバイトでお金たまったらボクも受けようかなぁと……」
人からの紹介があると手術代が割引になるそうなので、先に受けた方からこのパンフを頂いたんです。洗い物を終えてタオルで手を拭きながら坂道は簡単にレーシックについて説明した。巻島はパンフレットをパラパラめくって一瞥する。坂道の説明より詳しい内容がいろいろ書いてあるようだ。
「このレーシックってやつ。受けたら、坂道はメガネ、外すの?」
「まぁ、そうなりますね。ボク小学生の頃からずっとこのメガネだったんで、ちょっと淋しいですけど」

(坂道がメガネを外す……!?)

外す。外す。メガネをはずす。巻島の頭からつま先まで、雷に打たれたような激しい衝撃が全身に走った。
「巻島さん?」
顔色を変えた巻島に近寄ってきた坂道はどうかしましたか?と心配そうに巻島の顔を眺めた。
「……い、いや、な、なんでもねェっショ」
さすがに人生の先輩としてこんな下らない事で取り乱す姿は見せたくない。巻島は気を張ってなんとかその場を取り繕った。

「ちょっと課題のレポートが溜まってるからオレはしばらく部屋に籠るっショ。ジャマすンなヨ」
そう坂道に告げると巻島は急いで自室に戻り、バタンとドアを後ろ手で閉めた。ドアを背にしたまま立ち尽くす。さぁっと背筋に寒気が走った。

(まずい……まずい……コレは絶対、マズイっショォ!!!!!)

ふたりで同棲を始めてから、巻島は一緒に出かけて坂道に似合いそうな服(巻島にとってそれは地味な物だったが)を見立てたり、理容室ではなく近所の良さそうなヘアサロンを選んでやったり、色々身の回りの世話を焼いていた。その影響か、最近の坂道は自分でもそれなりに見える衣服や小物を選ぶようになったりして、あきらかに高校生の頃の野暮ったさに比べて垢抜けてきていた。
(坂道が垢抜けてきた事はいいケド、メガネを外してこのままもっとお洒落になったら、ロードレースの活躍と一緒に「小野田くん、かっこいい!キャー!(ハート)」って女子からもっと注目されちまうんじゃねェのか……)

疑惑と嫉妬の成分を大量に含んだ灰色の雲がモクモクモクモクぐるぐるぐると巻島の心を激しく覆っていった。



夜遅くベッドに入ってもまんじりとも出来ず、暗闇でむくり。と一人だけ身を起こした巻島はサイドテーブルに置いてある坂道の、お馴染みの丸いメガネをじっと見つめた。月の光を受けてキラッと輝いたそれを何気なく手に取ってみる。
(メガネ。お前さァ、そろそろお役御免みたいだぜ。オレも、お前みたいにそのうち捨てられちまうのかねェ……)
度数の高い、分厚い凹レンズを挟んだ銀色のメタルフレームの縁を長い指できゅきゅっと撫でてみる。眼のいい巻島はメガネというものに縁がないので色々と新鮮だった。
(……オレの坂道。メガネのお前を捨てたら、もっとモテちまうのかなァ)

その時。巻島の脳裏にふと、非常に姑息なアイデアが浮かんだ。悪魔的なその誘惑にかられた巻島は同じベッドの隣で静かに眠っている坂道の方をちらりと眺めた。愛しい恋人は実に幸せそうな寝顔でスヤスヤ寝息を立てている。
「(済まねェ、坂道。と、お前。……でもオレ、坂道に捨てられたくないんショ。だから……ゴメン)」

静かな寝室に、軽い、金属が壊れる音が響いた。



「あれっ。小野田チャン、メガネ換えたんだ?」
2日後。部室に来た坂道の、見た目の変化に気づいた荒北は声を掛けた。
坂道はいかにも大学生っぽい、スクエア型の黒いセルフレームのメガネを掛けていた。じっくり見ると完全な黒ではなく濃い焦茶色をしたフレームが、肌馴染みが良くてちょっとお洒落な印象を与える。
「どっ、どうですか……?昨日換えたばかりで、まだ掛け慣れないんです。恥ずかしいな」
メガネの両端を持ちあげる感じに手をちょこんと可愛らしく添えた坂道はすこしオドオドしている。
「お店の店員さん曰く、このメガネは『業界で有名なメガネ専門ブランド』の物だそうで、掛け心地はすごくいいんですけど、鏡を見るとなんか自分じゃない感じがしちゃって……。前に使っていたメガネは、小学生の時からずっと同じものを掛けていたので」
「オレは前のヤツよりこっちの方がいいと思うぜ。イマドキの大学生ぽくっていいんじゃねェの」
荒北は片方の口角を上げて坂道の新しいメガネを褒めた。
「そ、そうですか?」
褒められた坂道は素直に喜ぶ。
「良かったー。前のメガネ、巻島さんがベッドの足下に落ちてたのを踏んで壊しちゃったんですよ。ボク、視力が悪いからメガネが無いとすごく困るので、昨日一緒に買いに連れて行ってもらったんです。『オレのミスだから悪ィな』って、新しいのプレゼントしてもらっちゃいました。えへ。……あれっ、荒北さん?」
苦虫を噛んですりつぶした直後のいかにも嫌そう顔で荒北はぐぬぬ……としている。
「小野田チャン、ベッドの足下とか、その情報は要らねえよ!」
ちゃぶ台をひっくり返すような勢いで、おもわず荒北は声をあらげた。

「そういや『レーシックしようかな』って言ってたけどアレ結局どうすんだ。紹介受ける?」
レーシックのパンフレットは荒北の友人から経由で坂道の手元に渡ったものだった。
「うーん、新しいメガネ買っちゃったから、しばらくはいいかなって。済みませんけど、お友達には謝っておいてください」
「あぁ、伝えといてやるよ。別に小野田チャンは気にしなくていいぜ」
巻島さんには一緒に自転車用のスポーツサングラスもプレゼントしてもらったんですよ!金城さんと同じオークリー製のものなんです!とすごく嬉しそうな坂道を見ると、荒北は自分もなんだか嬉しい気分になった。……ベッドの足下云々はどうでもいいけど。

「ッス」
荒北が部室棟の隅にある自販機までベプシを買いに出ようとした所で、入れ違いに巻島が部室にやって来た。
「巻島、お前、アレわざとやったんだろ……?」
すれ違いざまに荒北はこそりと尋ね、巻島の腰のあたりを肘で軽く小突いた。
「……ん、メガネ?何のコトっショ。知らねえなァ」
巻島はトボけた。
「(やっぱりな……)」
オレの野生の感は当たるんだよ。まったく恋ってのは盲目だな。荒北は鼻でフン、と息を吐いた。
「(最近は「メガネ男子が好き」とかいう変わった趣味の女子もいるらしいけど、面倒だからそれは黙っておくか。……ま、結局は二人の問題だからな)」


【おわり】

2012/06/09 七篠 @±@¬