おまけSS「かわいいひと。」- 妄想会議

おまけSS「かわいいひと。」

(「はじめてのひと。」後日譚です)



「えーっ、まだ続くんですか?」
思わずあげた大きな声が静かな図書室に響く。周りの席の生徒から一斉に注目されて、ああっ、すみません。坂道は恐縮して体を小さくした。

だってお前、この辺の文法全然理解できてねーっショ。こことか。と、隣の席に座っている巻島は『完全理解 高I英語グラマー問題集』の乱れた解答欄を赤いボールペンで指摘した。

「じゃァ、次はこっちの『よく分かる!高校英文法入門』130ページから135ページまでな。この辺は中学レベルの問題だから解けるっショ?終わったら答え見てやるから」
【文武両道】を掲げる総北高校はこの近辺ではわりと知られた進学校なのに、お前よく入れたナ……とは本人の前でさすがに口には出さないが、色々と怪しげな視線で、ムムムと難しい顔をしている坂道のほうをじっと見る。
「英語は得意じゃないんです」
「……英語だけ?」
「す、数学も……」

先日、部室の床に落ちていた坂道の定期テストの結果表を巻島がうっかり拾って見てしまったのが運の尽きだった。
「……あのさァ。あんまり成績が悪いと、活動禁止で部活出れなくなるって知ってる?」
「ええっ、そうなんですか?」
坂道は絶句した。

普段の巻島なら誰かの成績が悪くても別に知ったこっちゃねーショ、そいつの勝手っショ。と思うだろう。が、かわいい後輩のことであれば別だ。特に、自分と付き合った後で「また成績が落ちました。赤点取りました」なんて将来に害をなすレベルの支障が出たらあらゆる方向に面目が立たない。同性同士で交際している事自体が秘密とはいえども、それでもお天道様に顔向けできない状況になるのは嫌だった。坂道の学習の筋道が付くまで、無理矢理にでも勉強に付き合わせようと決めたのはそういう理由だ。

ついでに自分の方の宿題も解いていたが、そちらは早々と済んでしまったのでしばらく手持ち無沙汰だ。ちらりと横を向いて坂道の方を見ると、まだ厳しい顔をして問題集とにらめっこをしている。息抜きに巻島がふと窓の外の秋晴れの景色に目をやると、枠に切り取られた雲ひとつない青空の中に、一羽の濃灰色の鳥がくるりと綺麗な弧を描いて飛んでいるのを見た。シルエットだけで種類はよく分からない。何故だかその鳥のことが気になりもっと見たい、と思った巻島は席を外し、図書室を出てそっと様子を伺った。キリッとした丸い目をした鳥は、外廊下のバルコニーの上に少しだけ止まった後、力強くはばたき遠くの彼方へ飛んでいった。

意志の強そうな黒い目がとにかく印象的な鳥だった。巻島は図書室の自然科学コーナーに向かうと『写真で見る 野鳥図鑑』を手にとり、「特徴から調べる」索引を開いた。掲載されている写真と照らし合わせ、指で名前を追う。

【チゴハヤブサ】
『タカ目ハヤブサ科の中では小さく、ハトと同じくらいの大きさ。云々』

……さっきの鳥はこれかァ。疑問が解けて満足した巻島は、著者の一言コメントに目を通して重い図鑑をパタンと閉じた。

うーん。うーん。坂道はまだ同じ問題集と悪戦苦闘していたが、時間を掛けたせいか先程よりはなんとか筆が進んでいるようだ。そういえば、この一所懸命な目がどこかさっきの鳥と似ているような。巻島は微笑ましい気持ちになった。



やっと問題集の割り当て分を片付け、添削が終わった所で坂道は巻島に尋ねた。

「あの。どうしていつも図書室で勉強なんですか?」

たまには巻島さん家とか行きたいですー。坂道は気楽に言う。テレビも大きいし……。
「家だと勉強しねーっショ」
「どこでも変わらないですよ」
「……そんなの、家じゃ直ぐヤりたくなっちまうからに決まってんだろ……」

思わず声を荒げてしまい、また周りから一斉に視線を集めてしまった。う、うわー、うっかりとんでもないことを口走ってしまった。あー最悪ショ。しばらくこの図書室に来れねェ……。巻島は激しく落ち込んだが
「……ボクは、家でもいいですよ?」
という坂道の返答を聞いて一瞬でフリーズした。

「まっ、巻島さんが嫌じゃなければ。ですけど……」
坂道のもじもじした言葉がフリーズした巻島をさらに固まらせた。さっきの野鳥図鑑のチゴハヤブサの欄の著者コメントが頭に浮かぶ。

――可愛らしい顔だが、猛禽類。


【おわり】

2012/04/26 七篠