「羽化」- 妄想会議

羽化

※大学生坂道&巻島


「ちょっと考え事してて、シャワー浴びすぎてのぼせちゃったみたいです」
素肌をさらした上半身の首から胸にタオルを掛け、下半身にはハーフパンツをはいた上気した姿で、坂道はシャワー室横の椅子に腰掛けてクールダウンしていた。ラムネ味の安いアイスバーをちまちま齧っている。わずかに溶けた薄青色の水滴がポツリと地面に落ちた。季節は今年も猛暑の見込み、ということで今の時分屋外でそんな格好をしていても特に問題はないが、巻島としては縁のない他人には恋人の白い裸を見てほしくない、と思う。これが女性ならば素の上半身を人前で晒すことはまずないだろうから、こういうのは同性カップルならではの悩みかもしれねーナ。椅子の横で壁によりかかり立ちながら巻島はそう考えた。

巻島が大学生になってからも彼と坂道はヒルクライムやロードレースの大会などで時々顔を合わせていたが、巻島の体の故障と私生活での挫折、坂道とのいろいろなすれ違いなどがあって、1年間ほどまったく会っていなかった空白の時期がある。
(まさかあの頃にこれほど背がニョキニョキ伸びるとはねェ……雨後のタケノコか、っての)
坂道が同じ大学に入学して東都大学自転車競技部の部室を訪れ、至極久しぶりに再会した時、遠目であっても巻島にはすぐ坂道だと判ったものの一瞬同一人物だとは信じられなかった。今泉、鳴子、そして小野田の総北高校同級生コンビの中で鳴子と共に「ちびっ子チーム」に属していた坂道だが、背が伸び、目線の高さも巻島とさほど変わらないくらいに成長していたのだ。

高校時代に巻島が観察したところ、坂道は小柄な身長のわりに大きな手足を持っていたので、手足の太い仔犬の成犬のように「こいつは今後もっと大きくなるかもしれない」という予感はあった。当の巻島自身も高校時代に数センチは伸びたものだが、既に高身長な方だったし坂道ほどの伸びしろは持たなかったので久々に再会したときはほんとうに驚いたものだ。坂道は相変わらず細身の体型でクライマー向きの体つきをしているが、昔と比べて行き場のない不安定な幼い感じはもう無い。ペダリングも高ケイデンス型で一層安定していた。

――小柄な小野田の背中が硬くなってひびが入り、ぱち、ぱちと静かに割れて「狭い所はもう飽きたんです」とばかりに大きく成長した今の坂道がそこからゆっくりと姿を現し、うーん。と背筋を伸ばしてかつて自分だったモノの殻を手で押しだし破って外に出てくる。昆虫が羽化するような、そんな出来事があったと言われても巻島は納得して信じてしまうだろう。自分でもバカバカしすぎる妄想だと嗤うけれども。でももしかしたら坂道本人は「面白いこと言いますね、巻島さんって。」と、いくら成長してもずっと変わらない真っ直ぐな黒い瞳で微笑み、オレを射抜くかもしれない。そういう希望を持たせる「何か」がこの男にはあった。



「あっ小野田くんだー」
「自転車頑張ってるー?」
それぞれホワイトとサーモンピンクのテニスウェアに身を包んだ清楚な感じの女子学生2人が部室棟横の道を通り掛かりこちらの方に向けて手を振ってきた。ありがとー。えへっ。という感じで坂道も軽く手を振り返す。
「坂道、何か上手くやってるみたいっショ」
すねた目で巻島は坂道の方を見た。
「大したことないです。ただの処世術ですよ」
あの子たち可愛く見えるけど、ああ見えてクラスで有名な肉食系女子なんで。根も葉もない噂好きで、上手くあしらっておかないとあることないこと触れ回されちゃうんです。と坂道は淡々と言った。

傍から見ていて、高校時代の坂道のアタフタした挙動不審ぶりとは隔世の感がある。ロードで活躍することで自信が付いたのだろうか。それともこちらがほんとうの彼の本性なのだろうか。昔だって、オタク趣味絡みの事ではブレない奴ではあったけど。
(なーんか、オトナになったんだねェ坂道くんは)
まァ、こいつをオトナにしたのはオレなんだけどナ……巻島は経緯を色々思い出してちょっと赤面した。いや、そういう下卑た意味以外でも成長したなァと折々の坂道との出来事を通して巻島は感じる日々なのだった。

「ところで明日、映画でも見に行かねーか?4限目のゼミが急に休講になったんショ」
「えっ、明日ですか。アキバのアニメイトで『ラブ☆ヒメ劇場版 恋のトップシークレット』のDVD発売記念イベントが夕方あるんで、その後でもよかったら。レイトショーになっちゃいますけど」
「あっ。そ、そうなのか……じゃ、レイトでもいいけど……ショ」

(悪いけど、前言は撤回させてもらうっショ……)
巻島は心のなかで想像の中の坂道に手をあわせて謝った。

【おわり】

2012/05/16 七篠


お題のテーマは「脱ぐ」でした。
special thanks:猫八太郎さま