ケーキ
※R-15。若干の性的描写を含みます
ボクの母さんは、なんだか巻島さんのことを気に入っているみたいだ。今日も巻島さんが来るよ、って言ったら
「坂道はいい先輩を持ったね。大切にするのよ」
といそいそとケーキを買いに出かけた。
巻島さんは「クイーン」のショートケーキが気に入っている。彼がはじめてボクの家に来た時に母さんが出したものを食べて、絶賛したのがきっかけだ。それから母さんは巻島さんが来ると事前に知っている時には必ずそのケーキを買ってくる。
「クイーン」というのはこの近所では有名な洋菓子店だ。よく言えばレトロ、悪い表現で言えば古くさい、西洋のお城のような外装でボクの生まれる前からずっとこの街にあるそのお店はケーキショップというより「洋菓子店」と呼ぶのが似合っている。そこで作られるショートケーキは、果物を挟んだスポンジに白い生クリームをたっぷり塗って、上にちょこんとイチゴが乗っている「誰でも一度は食べたことがありそうな」ごく普通のケーキなんだけど、確かに「クイーン」のものは他の店のと違って不思議に美味しくて、クリスマスイヴの日には店の前に長い車の行列ができる。
お金持ちの家で育った巻島さんがうちで出された庶民のケーキを気に入るなんて、ボクにはちょっと意外だった。
「いただきます」
と、ボクの部屋の小さいちゃぶ台でケーキを前にした巻島さんは上品に手を合わせ、薄っぺらいフィルムをつまんで丁寧に剥がした後で、フィルムに残った少しのクリームを指でこそぎ取ってぺろっと舐める。ウチでこういうことするとママンに凄く怒られるんだよナ、と苦笑いしながら。
次に、ケーキにフォークをナイフみたいにスッと入れて綺麗に切り分ける。長い指を踊らせる優雅な動作がこの世の人じゃないみたいに美しい。
少しお腹が減っていたこともあって、ボクはがつがつとケーキを口に入れた。庶民のボクはケーキの食べ方が上手くない。切るときにも大抵ぐちゃ。と形を崩してしまう。
「坂道……。口に、クリーム付いてるっショ」
ボクの方に身を寄せてきた巻島さんは、ボクの口元にだらしなく付いた白い生クリームを唇と舌でそっと舐めとった。次に、そのまま顔をスライドさせるとボクの歯列を割って舌が入ってくる。ボクはいつも通り、抵抗せずごく自然にそれを受け入れた。頭の中の理性の輪郭が徐々にぼやけ、その代わりに欲望が持ち上がる。
……父さん、母さん、ゴメンナサイ。
いま食べられてるのは、ケーキだけじゃないんです。
最初にボクが「食べられた」のは巻島さんの家で、のこと。でも今は向こうの家は内装工事中で人の出入りが多いらしくて、使えない。それで最近密会する場所はボクの家に移った。母さんは平日はパートに出ていて夜9時まで帰ってこない。今日は土曜日だから休みで家に居るけど……。今頃の時間はたぶんミステリドラマの再放送をのんきに見ているだろう。自分の子どもが上の部屋で何をしてるかは、きっと、知らない。
「声、もっと出すっショ」
「下の部屋の、母さんに、聞こえ、ちゃう……から……ダメ……っ……」
ボクは吐息をなるべく堪える。天井が見える。音が漏れないように閉めきったボクの部屋は暑い。昼間っから荒い息で、ぽと、ぽととボクの胸の上にボクのものじゃない汗がしたたり落ちる。こんなことを何度もしているから、ふたりとも、もう随分慣れてしまった。
「ゃ、そこ、は……ダメ、です……そんなの……ヤだぁ……」
「でも……いつもより、カタくなってるっショ」
「そこ、弱くっ、て……ひゃ……」
たっぷりとほぐされた後で、強く押し入れられる感覚に背筋がぞくぞくする。がくがくと身体を揺さぶられながら、ボクはシーツの皺の数を増やした。
「……家でするのは、ちょっと嫌です」
事が終わった後、裸で横たわったままシーツにくるまったボクがぼそっと吐いた独り言をうっかり巻島さんに聞かれてしまった。
「でもオレたち、他に行く場所無いからなァ……」
悪ぃナ。と謝る代わりに巻島さんから硬くて短い自分の髪をよしよしと撫でられて、なんだか悔しいけどボクはとても気持ちいい。
「そうなんですけど、もし父さん母さんに知られたら。って思っちゃうと」
「人間ってのは大人になる時に親に対して秘密を持つもんだぜ、坂道」
なんでも親に話すことじゃねぇっショ、お前も、もう大人だろ?と、自分のシャツのボタンを上から順に嵌めながら巻島さんは続けた。
大人は都合のいい時に自分のことを「大人だ」って言うんだよね。まったく、巻島さんも都合いいなぁ……と思いながら、ボクも自分の気持ちにそっと目を瞑った。――だって、もう子どもじゃないから。
*
「ケーキ、今日もご馳走様でした。美味しかったです」
「あらー、もう帰っちゃうの?もっとゆっくりしていってもいいのよ」
ボクたちが階段を降りて玄関に出ると、台所ののれんからひょいと顔を出して母さんは巻島さんに声を掛けてきた。
大人相手だと巻島さんはいつもの蓮っ葉な口調ではなく、丁寧な言葉を使う。
「いつも有難うございます。……でも、本当にお構いなく」
「そうだよ、母さん」
「でも母さんにはこれくらいの事しか出来ないから、あなた達は気にしなくていいのよ。巻島さん、こんな子だけど、くれぐれもうちの息子のことよろしくお願いしますね」
そう言いながら玄関に出てきた母さんは巻島さんのほうに向けて、深々と頭を下げた。……そのお辞儀の仕方があまりにも、丁寧な姿だったので。巻島さんは
「い、一生大切にします」
と、母さんに向けて(聞く側によっては)とんでもない返事をした。
「きょうは家の前の坂の下まで付き合わせて下さい」
いつもは玄関でお別れするけど、今日のボクは巻島さんを送るために玄関を出て一緒に歩いた。巻島さんもバイクを押してゆっくり歩く。しばらくの間ふたりとも黙って歩いていたけど、坂の途中で巻島さんは
「なんだ……。オレ達もまだホンモノの大人には敵わねーみたいだナ。クハ」
とぼそりと呟いた。
夕日に変わる直前の、昼間の陽射しがまだ眩しい。
「……巻島さんは、ケーキがなくてもボクの家まで来てくれますか?」
坂を降りる途中で急に立ち止まると、試すようにボクはそっと言う。
「急に、何ショ……」
左右を見て、周りに誰も居ないことを確かめると巻島さんはボクの手をとって、顔をそっと近づけた。ボクは目を閉じて甘い瞬間に集中する。一瞬の中の永遠がいま、ここを通りすぎた。
【END】
2012/06/01 七篠