あなたのトリコ

坂道x巻島 R-18

 巻島と坂道が「ただの先輩と後輩」から、恋人同士のスイートな関係になって、お互い名前で呼び合うようになってから1年以上の月日が経った。
 一旦渡英したものの諸事情で日本の大学に入り直した巻島の、キャンパス近くにある彼のマンションを訪れることも生活の一環となり、リビングにある大きな革張りのソファで遠慮無くくつろぐようになった坂道が熱心に何かの本を読んでいる。あまり聞いたことのない出版社のロゴが大きく乗った黄色基調の派手な表紙に、太いフォントで『あなたでも出来る!グレート催眠術のすべて』と書いてあるのを確認した巻島は、胡散臭そうな表情でその本と坂道を眺めた。
(アニメもだけど、まったく、坂道も下らねェモン読んでるショ……)
 しかし、他人の持つ趣味は自由だしそれに口を挟むのは失礼だ。触れるのはよそう。と思いつつも、坂道があまりに熱心にその怪しい本を眺めている様子を見て、巻島はついボソッとこぼしてしまった。
「クハ、そんなの効くのかねェ……。少なくとも素人には無理っショ」
 明らかにバカにした口調にムッとした坂道は、本から顔を上げてキッとした顔で巻島の方を見た。開いたページの一節をぽんぽんと指さしながら、
「でっ、でも、この本には簡単だって書いてあります。やってみないと分かんないですよ」
と言い張った。珍しく頑固な態度を見せる坂道に対して、売り言葉に買い言葉で巻島は煽る。
「じゃ、オレに掛けてみろヨ。……絶対、信じねェケド」



「……コレ、使うの?」
 五十円玉に凧糸を括りつけて手から吊るした、ごくありふれた風な催眠術用の道具を坂道は巻島の目の前に差し出した。漫画かヨ!巻島はそのアイテムにツッコミを入れるように細い指先でツンと触れた。軽い力を受けた五十円玉がゆらゆら揺れる。
「この本に、そう書いてあったので」
 坂道は振り子のような一定の角度で銀色の硬貨をスッ、スッ、と左右に揺らした。
「しっかし、随分古臭いやり方だナ。やっぱり、ダマされてるんじゃねェのかァ?」
「『五円玉じゃなくて五十円玉を使うほうが術にかかる確率が高い』らしいんです。はい、これをじっと見て下さい。はい、あなたはだんだん眠くなる……眠くなる……」
 今日締切の難しいレポートを必死で終えて提出した後ということもあって、坂道が操る振り子の単調な動きを見つめていた巻島は少しずつ眠気を覚えた。

 ――こんなのは、決して、催眠術のせいじゃ、ね……ェ……ショ……ォ……

*   *   *

「左手上げて、」
 ひょこ。
「右手上げる。」
 ぴょこ。
「右手そのまま、左手下げる。」
 しゅっ。
「右手も下げて、左手上げる。」
 ひょこ。

 半分寝ぼけているような、トロンとした光のない瞳をした巻島は、坂道の指示通りに左手の肘から上をあげている。
(うわわわわ……本に書いてあったとおりに試しただけなのに!!)
 予想を遥かに上回る効果に、試した本人である坂道も自分自身信じがたいものを見るような気持ちになった。
(確かに本には『術を疑っている人に限って、案外素直にかかってしまうものなのです』とは書いてあったけど、こんな見事に術がかかっちゃうなんて。この本、冗談じゃなくて本物なんだ!!)
 巻島の前ではああ言い張ったものの、さすがの坂道だって半信半疑かつ眉に唾を付けてあの本を読んでいた。しかし、目の前で実際物事が上手く行けば、湖上を歩いて渡るイエスの奇跡を目の当たりにしたキリスト信者のように本の記述を信じざるを得ない。
(あっ、でも、ダメダメ。「冷静さを失った時に、あなたの術が全て解けてしまいます」って書いてあったし……)
 坂道は有頂天に逸る気持ちをなんとか押さえ込んだ。

「手ェ、辛いショ……」
「……あっ、ごめんなさい。左手も下ろしていいです」
 巻島は坂道に言われた通り左手をスッと下げた。相変わらず術は解けないままで、虚ろな目をしている。
「なんだかボク、喉乾いちゃった。お茶、持ってきてくれますか?」
 坂道は術中の巻島におそるおそる次の命令を出してみた。そろそろ巻島が「いい加減にするっショ!」と怒り出すか、笑い出すかすると思った。が、巻島は何も言わずコクン。と軽く頭を下げると台所に行き、冷蔵庫の中の麦茶を出して香ばしい液体を注いだコップを坂道の前に無言で差し出した。よく冷えたコップの水滴が坂道の手と喉に冷たくて快い。が、彼の内心はもうそれどころではなかった。
(うわー、裕介さん、本当に術にかかってる……。すごい!ボク、催眠術の才能あるのかも???)
 これで調子に乗った坂道は麦茶を一気に飲み干すと、新しい命令を下した。
「角のセブソイレブンに行って、今週の『週刊少年チャンピオソ』買ってきて。あとガリカリ君ソーダ味も食べたいなぁ」
 セブソイレブンはこのマンションの三軒隣にある。近いとはいえ、面倒くさがり屋の巻島は普段なら「自分で買ってくるショ」と言うはずだ。……と、坂道は踏んだ。しかし、巻島はさっきと同じくコクン。と軽く頭を下げると財布を持って玄関のほうへトコトコ歩いていった。

 ――数分後。坂道の目の前に今週号のチャンピオソとガリカリ君ソーダ味のパッケージがスッと差し出された。
「!!」
「ジャソプじゃなくて、チャンピオソで合ってたよナ?」
「は、はい……。」
 いつもならチャンピオソを手に入れたら真っ先に『侵略!タコ娘』を読む坂道だが、驚きのあまりページもめくらず目の前の巻島の方をじっと見ている。放置されたアイスバーも溶けそうだ。相変わらず巻島はぼんやり虚ろな目をして術にかかったままだった。

(―今なら、裕介さん、どんなこと言ってもオーケーしてくれそうだよなぁ……)
『そう、どんなことでも、この催眠術ならね。』…………と、坂道の心の中で黒いタートルネックセーターを着てメガネを掛けた電脳界の偉人がナレーションをする。そもそも、普段から巻島は大体の坂道のお願いは聞いてくれるし、坂道だって無理矢理なことは頼んだりしない。でも、見事に術がかかった事の高揚感か、非日常的な興奮からか、こんな時はやはり何か普段頼めないような無茶なことをさせてみたくなるのが世の常だろう。坂道はごくりと息を呑んで次の言葉を吐いた。

「じゃぁ……ぼ、ボクに、き、キスしてよっ」
 命令を耳にした巻島はその長い腕を伸ばして、赤く染まる坂道の頬を大きな手の中に収め。顔をゼロ距離まで近づけ、唇を塞いだ。舌を熱く絡め、交じり合う甘い時間が長く過ぎる。今日のキスはソーダの味がした。
「ふぅ……」
 ようやく唇を離された坂道は水の中から浮上した動物のようにひとつ大きな息を付いた。
「次はどうすればいいんショ?……坂道」
 巻島の光のない瞳が心の中を問うた。

「じゃ、次は……裕介さんの口で。口を使って、ボクのこと、可愛がってよ……」
 強い口調で命令してみたものの、自分でも思い切った事を言い過ぎたと坂道は恥ずかしい気持ちに襲われ目を閉じる。巻島から口を使って下半身を愛撫される行為が坂道はとても好きだ。彼の艶っぽく情熱的な濃い奉仕で身体の芯が溶けそうになり、だらしなく乱れて達してしまう。だが、顎が疲れるなどの理由で巻島はいつもそれをしてくれる訳ではない。たまにされる行為だからこそ、坂道にとっては貴重でいっそう甘美な物だった。愛しあう時にそれが行われるかどうかは場の流れでなんとなく決まるので、こういう時でもないととても『お願い』なんてできない。催眠術で彼を騙すことへの罪悪感はあるが、しかし、坂道も人を自由に操るという悪魔的な誘惑に打ち勝つことはできなかった。

(でも、こんなのはさすがに『ダメ』って言われちゃうよね……)
 と思いつつ坂道が閉じていた目をそっと薄く開けると、巻島は坂道の前で膝を立てしゃがんで、坂道のジッパーをじりじりと下ろしていた。下着の中のはちきれそうな欲望を慣れた手つきで取り出し、硬くなった先端を唇に軽く撫で付けている。舌を使って幹の裏筋の部分を上下に丁寧に舐め上げ成長させると、巻島は大きく膨張した坂道のそれを遠慮無く口内に収めた。
「ん……んふ……ふぅ……」
「あ、あっ……ふぁ……ぁ……」
 敏感な欲望が口内の熱い粘膜に包まれ、太い幹の部分が巻島の薄い唇にずっ、ずずっと出たり入ったりする様を上から見下ろしていると淫らな気分が艶っぽく高まる。じゅっ、じゅぷと舐められる卑猥な音が雰囲気に妖しさを加える。相変わらず光のない瞳でちらちらとこちらの様子を伺ってくる巻島の目線も坂道の欲望の高まりに拍車をかけた。
「どう?坂道……」
「あっ、あぁ……すごく、いい、です……ぅ、あぁ、きもち、いいよぉ……」
 はぁ、あぁ、と熱い吐息を重ねる坂道は巻島のほうへ身体を軽く押し付け、自分からゆっくり腰を動かしてみた。最初はさすがの巻島も若干息苦しそうな素振りを見せたが、リズムに合わせて奉仕する頭を動かし喉の奥深くまで坂道を受け入れた。口内を犯すという征服感が坂道の牡の欲望の高まりをますます煽っていく。

「あ、ァ……出ちゃう、イッちゃ、う……よぉ……。もっ、もぉダメ、っ……ゆーすけ、さん……」
 下半身に直接与えられた激しく淫らな快楽に、坂道の身体の芯がドロドロにとろけそうになる。達する気配を感じて自らを巻島の唇から引き抜こうとしたが、彼は無言で坂道の膨張しきった欲望をくわえたまま離さない。きつい愛撫に腰が抜けそうになった坂道の身体ががくがくと震えた。
「は、あぁ……アッ……いくッ……イッちゃ……ぅ……。はぁぁ……」
 そしてまた、いつものように坂道はだらしなく口内で達してしまった。喉奥に恋人の熱い白濁を浴び、巻島は坂道の欲望の徴をゆっくりと飲み込んだ。幼子が棒アイスを舐めるように、残った滴ももれなくちゅうちゅうと美味しそうに吸い取り、行為を終えた先端にもう一度軽く口付けた。

「……どうだった?」
 行為を終えてソファに座りなおした二人は手を繋いで軽く抱きあう。
「うん、すごく良かった。裕介さんのお口、やっぱり最高です。でも……」
 坂道はその黒い瞳に不安な影を落としたまま巻島の顔を見つめた。
「でも……?」
 甘く幸せな時間だったはずなのに、苦虫を噛んだような顔つきで口をぎゅっと固く結んだ坂道は巻島の胸元を押し返すようにして身体を離す。

「……ご、ごめんなさい!ちょっと、独りにさせて……」

 ドタバタと足音を立てて巻島から遠ざかり、独りになれる部屋へ慌てて坂道は駆け込み引きこもる。後ろ手でドアをバタンと締め、そのままその場にずるずると崩れ落ちた。
「こんなの、やっぱりダメだよ……。裕介さんを騙すなんて」
 いくら催眠術で相手が自分の言いなりになるとはいえ、それでもして良いことと悪いことがある。坂道の中では先程の行為は明らかに後者の範疇だった。恋人同士とはいえ無理矢理キスや濃い口淫をさせてしまった罪悪感で手の中の冊子がしなる。胸が締め付けられるような思いからか、その薄い本を鉛のように重く感じた。

*   *   *

「……坂道?」
 数十分ほど後、様子をうかがうように巻島が部屋のドアをそっと開けると、彼の可愛い恋人はベッドの上でうつ伏せのまますぅすぅと眠りこけていた。わずかに横顔を見せた目元に涙を流した跡が残っている。巻島はベッドに近付くとスプリングの効いたそれに腰掛け長い指で坂道の悲しみの痕跡をそっと拭った。そしてベッドサイドのゴミ箱の中に、催眠術の本がビリビリと引き裂かれた残骸を見つけた。
「お前、嘘つくの苦手だもんナ……」
 人を騙すとか、全然向いてねェっショ。……まァ、オレはお前のそういう真っ直ぐな所が好きなんだケド。眠っている恋人の見ていないところで巻島は口角を上げ、少し照れ笑いをする。
「でも、もう大人なんだからちょっとズルくなったっていいんだぜ?」
 また、イイコトしようナ……。巻島は坂道の黒い髪を愛おしさで光る瞳でやさしく撫でた。

【おわり】




◆ おまけ ◆


「ん……?」
 真夜中にごろりと寝返りをして、抱き枕のように触れようとした存在が腕の先に見当たらないことに巻島は気づいた。試しにダブルベッドのシーツの半分に触れてみても、主の居た温度は感じられない。
(……やれやれ、またかヨ)
 巻島は怠そうに身体を起こし、居心地の良いベッドから一旦抜け出した。

「……やっぱりナ」
 リビングに向かうと、予想した通り、テレビの前のソファで坂道が轟沈していた。ソファの横にだらりと下がった彼の右手の先の床の上には、テレビの細長いリモコンがぽとっと落ちている。巻島の推理が確かならば、床についた後の坂道は深夜アニメをリアルタイムで見るために一度ベッドを抜け出したものの、視聴していた途中であえなく眠気に襲われ、かろうじてテレビをオフにしたがそこで力尽きてそのまま眠りこんでしまったに違いない。
「オイ、起きろヨ……」
 だらしなく寝こける坂道の体を巻島はグラグラ揺り動かした。
「えー……まだ、ねむい……ですぅ……ここで、寝させてよぉ……ミクちゃぁん……」
 まだ夢の中にいるようで、坂道はすっかり寝ぼけている。慣れたもので、巻島はミクちゃん云々は敢えてスルーした。
「こんな所で寝たら、風邪引いちまうッショ。この間みたいにまた1週間も寝込みたいのかァ?」
「でも、動くのめんどくさい……zzz」
(アニメを見るために夜中に動くのは面倒くさくねーのかヨ)
 と、巻島がツッこむ前にむにゃむにゃ。坂道は返事もせず、再び眠りの淵に落ちてしまった。

「……仕方ねェなァ」



「あれっ……」
 差し込む朝日の眩しさを感じて坂道が目を覚ますと、昨晩アニメを見ながら居間のソファの上で眠ってしまっていたことに気づいた。冬、加湿器の無い部屋で寝たせいか、ちょっとだけ喉がイガイガするが知らないうちに体の上に掛けられたふかふかの布団と肌触りの良い毛布のおかげで体の方は大丈夫なようだ。横のキッチンからはトーストの香ばしさとコーヒーの上品な香りの混じった、食欲をそそる匂いがした。かけっぱなしでズレた眼鏡を元の位置に戻しながら、キッチンの上のテーブルを坂道が寝起きの頭でフラフラと覗きこむと
「夜更かし道ィ、やっと起きたっショ?」
と長い髪を縛ってアップにまとめた、黒いエプロン姿の巻島から声をかけられた。
「昨日お布団、掛けてくれたんですね。ありがとうございます」
「そうだヨ。お前があんな所で寝ちまうから……」
「優しいなぁ。裕介さん大好き」
 坂道は巻島の身体に後ろから抱きつき、細い腰に触れた。
「……こ、こらっ、朝からサカるな坂道!」
「でも、ボクたち昨日シてないですし……ね?」
 続いて、普段長い髪で隠れた巻島の首筋の弱い辺りに痕を付けるようなキスをする。
「好きな人と一緒に気持ち良くなりたいなぁーって思うのって。間違ってないですよね……」
 それとも、裕介さんは嫌ですか……?と坂道は身体をすりすりと巻島に擦り付ける。腰のあたりに熱量を感じた。
「ソレ、客用の布団だから後で干さねェと……おい、ちょっとちょっと……止めろ……。本気に、なっちまう……ショ……」

 無駄に元気のいい坂道に、巻島の腰から力が抜けそうになるのはいつものことだった。


【おまけなのでここでおしまい】

2012/10/07 七篠 坂巻本『みっくみくのトリコ』よりweb再録
(update:2014/09/02 web再録にあたって若干改稿)